第六話|南北朝の分裂!室町文化の開花から応仁の乱まで

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第六話|南北朝の分裂!室町文化の開花から応仁の乱まで
「応仁の乱」の真の原因、実は“夫婦喧嘩”だったとご存知でしたか?


一見複雑な室町時代も、人間ドラマとして見ると驚くほど面白くなります。分裂から戦国への流れを”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 室町幕府はなぜ分裂し、応仁の乱で崩壊したのか?


足利尊氏による南北朝の分裂から、義満の全盛期を経て、日野富子の執念が応仁の乱を招いたからです。
後醍醐天皇の建武の新政に反発した武士たちは、足利尊氏を擁立して北朝を樹立し、南北朝の動乱が始まりました。これを収束させた三代将軍足利義満は、日明貿易の富と北山文化で室町幕府の全盛期を築きます。

しかし、八代将軍足利義政の時代、妻の日野富子の執念による継嗣争いが応仁の乱を招きました。この大乱で幕府の権威は失墜し、自衛する農民のや商人といった新勢力が台頭する中、日本は実力が物を言う戦国時代へと突入していきました。

南北朝分裂は武士の不満が原因

建武の新政:後醍醐天皇が目指した天皇中心政治。武士の慣習を無視したため、猛反発を招き崩壊。
足利尊氏:武家政権の基礎を築いた初代将軍。建武の新政に離反した武士で幕府を開き、北朝擁立。
南北朝:京都の北朝と吉野の南朝に皇統が分裂し、約60年にわたり激しい争乱が続いた時代。

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇は天皇中心の政治を目指して建武の新政を行いました。しかし、公家を優遇し武士を冷遇する不公平な政治に対し、命がけで戦った武士たちの不満が爆発します。

彼らは自分たちの利益を代弁してくれる、同じ武家出身の足利尊氏のもとへ結集し、天皇親政に対して強い反発心を抱き、新たなリーダーを求めるようになったのです。




足利尊氏は武士の期待を背負って挙兵し、京都に新たな武家政権を樹立して北朝を立てました。一方、後醍醐天皇は吉野へ逃れて南朝を開き、ここに南北朝が並立する約六十年の動乱が始まります。

この分裂は、二度と朝廷の番犬にならないという武士たちの強い意志が、政治の形を根本から変えようとした結果であり、長い戦乱の幕開けとなったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

後醍醐天皇の建武の新政に反発し、武士の代表である足利尊氏が新政権を樹立したことで、京都の北朝吉野の南朝が争う南北朝時代が到来しました。この約69年の動乱は、武士が古い権威に立ち向かい、実力で新しい時代を切り開こうとした歴史的な転換点となったのです。


足利義満が南北朝の争いを収束させ、明との貿易で文化を栄えさせる様子


── では、この南北朝の混乱を、足利義満がどう収束させたのかを見ていきましょう。

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義満の貿易と北山文化の関係

日明貿易:義満が倭寇取締りを条件に明と開始し、幕府に巨万の富をもたらした公的な貿易。
北山文化:義満の時代に栄えた、公家の優美さと武家の力強さが融合した国際色豊かで華やかな文化。
風姿花伝(ふうしかでん)世阿弥が記した。芸能の真髄や修行の心構えを論じた不朽の芸道論。

長い南北朝の動乱を終わらせた三代将軍足利義満は、南朝と交渉して皇統を統一させました。さらに国の繁栄を目指した彼は、明に対して「弟分」という立場をとる朝貢貿易を受け入れ、日明貿易を開始します。

この屈辱的な外交判断の裏には、倭寇の取り締まりを条件に、莫大な利益を得て幕府の財政を盤石にするという、極めて現実的な計算があったのです。




日明貿易による富と、京都での公家・武家文化の融合により、金閣寺に代表される華やかな北山文化が誕生しました。この時代、観阿弥・世阿弥親子によって能が大成され、風姿花伝には芸能の真髄が記されました。

無骨な武家文化に、大陸の先進性と公家の優美さが混ざり合い、日本独自の洗練された美意識が育まれ、現代に続く伝統文化の基礎となりました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

足利義満は南北朝を合一させた後、プライドを捨て明に従う朝貢形式の日明貿易を選びました。この決断による巨万の富が幕府を支え、金閣寺に代表される煌びやかな北山文化を生み出します。経済と文化の両面で成功を収めた義満の治世こそが、室町幕府の全盛期を築き上げたのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


応仁の乱の勃発を巡る将軍継嗣問題と、農民や商人の新しい勢力の台頭


── では、室町時代がなぜ応仁の乱によって崩壊したのでしょうか。

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応仁の乱は母親の執念が原因か?

応仁の乱:京都で約11年続き都を焦土に変え、幕府の失墜と戦国時代への突入を決定づけた大乱。
日野富子:政治介入で知られる義政の正室。実子の義尚を将軍にするため、乱の一因を作った、
(そう)室町後期に農民が自衛のため結成し、団結して領主への抵抗を行った自治組織のこと。

全盛期を過ぎた八代将軍足利義政の時代、妻の日野富子に待望の息子が誕生したことで事態は急変します。次期将軍は弟の義視に決まっていましたが、富子は「我が子を将軍に」という強い母親の愛(あるいは執念)から、有力大名を味方につけました。

この個人的な後継ぎ争いが、東西の大名を巻き込み、国を二分する応仁の乱の引き金となったのです。




応仁の乱で京都が焼け野原となり幕府の権威が失墜する中、地方では新しい力が芽生えていました。農民たちは武装してという自治組織を作り、団結して領主に対抗し始めます。

また、などの都市では商人が経済力を背景に自治を行い、日明貿易の富を蓄えました。血筋よりも実力が物を言う、下克上の世が迫り、時代は戦国へと大きく舵を切ったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

足利義政の妻日野富子が息子への愛ゆえに継承権に介入し、義政の弟と対立したことが応仁の乱を招きました。大乱で幕府の統制力は崩壊し、農民の惣や商人が台頭します。権威が失墜する一方で、実力ある者が独自の秩序を作る下克上の世となり、新しい時代の胎動が始まったのです。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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結:室町から戦国への転換点

 室町時代は、足利尊氏による南北朝の分裂から始まり、足利義満の下で日明貿易北山文化が栄華を極めました。しかし、日野富子の執念が招いた応仁の乱により、その繁栄は脆くも崩れ去ります。権威の失墜は、農民や商人という新しい主役たちを歴史の表舞台に押し上げ、時代は戦国へと移りました。
この記事のポイントは、以下の3つです。

武士の不満が分裂と新政権を生む
貿易と文化融合が黄金期を築く
私的な争いが国を乱世へ導く

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

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❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.室町幕府はいつからいつまで続きましたか?

室町幕府は、足利尊氏が鎌倉幕府滅亡後の1338年に征夷大将軍に任じられてから、1573年に織田信長によって最後の将軍足利義昭が追放されるまで約235年間続きました。

Q2.北山文化東山文化は、どのように違うのですか?

北山文化は、公家・武家・大陸(明)の文化が融合した華やかで豪華な文化です。一方、東山文化は、わび・さびの精神を取り入れた、より簡素で精神性の高い文化です。

Q3.室町時代の歴史を学ぶ上で、どのような視点を持つとより深く理解できますか?

室町時代は、武士政権(幕府)が公家(朝廷)の文化を積極的に取り込み、新しい文化を生み出した「融合」の時代として見ると良いでしょう。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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