▼ この記事でわかること
鎌倉時代末期、皇室は大覚寺統と持明院統の二大派閥に分裂し、所領である荘園や文化面でも激しく対立していました。この混沌とした情勢下で即位した後醍醐天皇は、平安の醍醐天皇にならった強力な親政を目指し、商工業者への課税など独自の改革を断行します。
しかし幕府による皇位継承への介入に強く反発し、倒幕を決意。二度の計画失敗を経て隠岐へ流されますが、諦めません。皇子・護良親王や楠木正成らが地方の悪党勢力を巧みに結集し、巨大な幕府を崩壊へと導く大きなうねりを作り出しました。
皇室分裂と荘園をめぐる「対立」
鎌倉時代後期、皇位継承争いは兄弟喧嘩の域を超え、政治経済の深刻な分断を生んでいました。大覚寺統と持明院統の両派閥は、支持基盤となる荘園を管理し、そこからの莫大な富を独占しようとしのぎを削っていたのです。室町院の死去に伴う遺産相続では、実に百カ所以上の領地が一挙に移動し、京都の経済地図が塗り替わるほどの事態となりました。
この莫大な富の移動は京都のパワーバランスを崩壊させかねず、鎌倉幕府が仲裁に入り折半させるほどの騒ぎでした。対立は文化面にも及び、大覚寺統が朱子学などの新しい大陸文化を取り入れた一方、持明院統は伝統的な和歌や仏教を擁護しました。後醍醐天皇が即位したのは、このように国が二分され、誰もが疑心暗鬼になる極めて不安定な時期だったのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
当時の皇室は二つの派閥に真っ二つに割れ、莫大な資金源である土地の奪い合いを繰り広げていました。幕府が介入しないと収まらないほど対立は激化しており、政治的な利権だけでなく、好む文化や宗教といった価値観までもが完全に分裂し、互いに相容れない極めて深刻な状態にあったのです。
── では、この混乱の中で即位した後醍醐天皇は、どのような政治を目指したのでしょうか。
異端の帝による政治改革と「野心」
尊治親王、のちの後醍醐天皇は極めて有能かつ野心的な人物でした。彼は平安時代の醍醐天皇を理想とし、摂関家や幕府に左右されない強力な親政を目指します。生前から自らを「後醍醐」と呼ぶよう遺言したエピソードは、彼の強烈な自負の表れです。彼は前例にとらわれず、酒造業者への課税など革新的な政策を次々と打ち出し、財政再建を図りました。
しかし、その野望は鎌倉幕府によって阻まれます。文保の和談などの取り決めにより、自身の子供への皇位継承が禁じられたためです。自らの系統に権力を残せないという決定は、彼にとって到底受け入れられるものではありませんでした。自身の理想を実現し、未来へ遺産を繋ぐため、彼はついに最大の障壁である幕府の排除を決意するに至るのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
後醍醐天皇は、かつての名君のように自らが強力なリーダーシップを発揮したいと願っていました。しかし、幕府のルールで自分の子供を次の天皇にできないと決まり、その邪魔な存在を消し去ることを心に誓ったのです。自分の血筋に権力を残すため、彼はあえて困難な戦う道を選びました。
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── では、無謀とも思える倒幕計画はどのように進められたのでしょうか。
倒幕計画の失敗と隠岐への「配流」
後醍醐天皇は慎重でした。比叡山に息子を送り込んで僧兵を味方につけ、日野家を通じて幕府に不満を持つ武士たちを組織化します。しかし、正中の変とその後の元弘の変で計画は露見。笠置山での籠城もむなしく捕縛され、遠く隠岐の島へ配流されてしまいます。これで全てが終わったかに見えましたが、彼の執念は決して消えることはありませんでした。
父の意志を継いだ護良親王が、吉野で挙兵したのです。彼は、荘園支配に抵抗し「悪党」と呼ばれていた地方武士たちに共闘を呼びかけました。既存の権威に従わない彼らの武力は強大でした。さらに、楠木正成という傑出した軍略家が加わったことで、戦局は一変します。天皇不在の中、新たな勢力が幕府を追い詰め、歴史を動かし始めていました。
🔍 つまりどういうこと?🔍
天皇が島流しになっても、戦いは終わりませんでした。息子の護良親王が、幕府に不満を持つ荒くれ者たち(悪党)を味方につけ、ゲリラ戦の天才である楠木正成と共に、幕府に対する徹底抗戦を開始したのです。彼らの活躍により、一度は潰えたかに見えた倒幕の火は再び燃え上がりました。
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── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:鎌倉幕府崩壊への「序章」
後醍醐天皇の倒幕運動は、単なる権力欲だけでなく、当時の複雑な経済・相続問題に端を発していました。一度は失敗し流罪となりますが、その意志は次世代や悪党といった新しい勢力に受け継がれ、時代を動かします。お金と名誉、そして家族への想いが絡み合ったこのドラマは、私たちに人間臭い歴史の真実を教えてくれます。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣皇室分裂の背景にある経済的対立
‣後醍醐天皇の強烈な自負と改革
‣護良親王と悪党による組織的抵抗
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.なぜ後醍醐天皇は幕府を倒そうとしたのですか?
幕府が主導した和談により、自分の子供への皇位継承を禁じられたことが決定的な要因です。自身の系統の存続に危機感を抱きました。
Q2.「悪党」とは単なる犯罪者のことですか?
単なる強盗ではありません。荘園領主や幕府に反抗した武士たちで、高い戦闘能力を持ち、倒幕の実働部隊として活躍しました。
Q3.「後醍醐」という名前にはどんな意味がありますか?
平安時代の「醍醐天皇」にあやかった名前です。摂関政治に頼らず自ら政治を行ったかつての帝を理想とし、その再来を目指しました。
注目トピックス
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
🖋この記事を書いた人🖋
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

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