江戸時代の食事と生活!武士・町人・農民の日常|5分de探究#073

江戸時代
江戸時代の食事と生活!武士・町人・農民の日常|5分de探究#073
将軍は豪華で農民は質素…そんな江戸時代の食事のイメージありませんか?


実は将軍こそ麦飯を食べ、町人が天ぷらを楽しむ逆転現象が起きていたのです。その意外な食卓事情を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 江戸時代の食事と生活は身分でどう違ったのか?


武士は質素倹約で麦飯を食べ、町人は天ぷらを享受。一方、農民は米も食べられぬ貧困にあえぐ格差がありました。

江戸時代の食生活は身分によって大きく異なっていました。士農工商の頂点に立つ武士は、質素倹約を旨とし、将軍でさえ麦飯を食べるほどでした。一方で経済力を持った町人は豊かな食を楽しみ、天ぷらなどの外食文化を発展させます。

しかし農村の現実は過酷で、農民は「胡麻の油と百姓は絞るほど出る」と言われるほど搾取され、米すら満足に食べられない貧困にあえいでいました。この飽食と困窮のコントラストこそが、江戸社会の日常だったのです。

身分で異なった食事と生活の「格差」

士農工商:儒教の教えに基づき、社会を四つの階級に分けた、江戸時代の基本的な身分制度のこと
三都:“政治の江戸”と”経済の大坂”、そして”文化の京都”という、特徴の異なる三大都市の総称
町人:都市部に住み、商業や工業に従事して平和な時代に経済的な実権を握っていった人々

江戸時代の生活は、住む場所と身分で劇的に違いました。特に三都と呼ばれる大都市では、儒教に基づく士農工商というシステムが生活の基盤を決定づけています。驚くべきは、支配者層であるはずの武士が、必ずしも良い食事をしていたわけではない点です。徳川家康や秀忠は、倹約の模範を示すためにあえて麦と米を混ぜたものを食べていました。


対照的に、平和の恩恵を最も受けたのは町人、特に大坂の商人たちです。彼らは経済成長に乗じて巨万の富を築き、武士よりもはるかに豪華な食事を楽しんでいました。焼き魚や豆腐、薄焼き卵を使った料理など、豊かな食卓が彼らの日常だったのです。一方、下級武士や庶民の朝食は、漬物やおかゆ、味噌汁といった質素なもので済ませるのが一般的でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

江戸時代の食卓は、身分の高さと食事の豪華さが必ずしも比例しませんでした。武士は質素倹約を美徳として麦飯を食べましたが、経済力を持った町人は豊かな食材を楽しみました。士農工商という枠組みの中で、平和な時代がもたらした経済格差が、日々の食事にはっきりと表れていたのです。


江戸の屋台で蕎麦を食べる町人たちの様子


── では、都市部で花開いた豊かな食文化について、もう少し詳しく見ていきましょう。

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天ぷらも登場した豊かな外食「文化」

四条流:平安時代から続く包丁儀式や料理作法を伝える、伝統的な日本料理の最も正統な流派
家元:伝統芸能や武道において、その流派の正統な技術や知識を受け継ぐ世襲の最高指導者
天ぷら:ポルトガル宣教師が伝えた衣をつけて揚げる調理法を起源とし、江戸で流行した料理

生活水準が上がると、料理は単なる栄養補給から「文化」へと進化しました。プロの料理人が増え、四条流のような伝統的な流派が一般の人々にも技術を教え始めます。書店にはレシピ本が並び、人々は料理の知識を貪欲に吸収しました。さらに海外からの影響も大きく、ポルトガル由来の天ぷらや、オランダ風の揚げ物料理などが都市部で人気を博します。


また、忙しい都市生活者のためにファストフードも発達しました。江戸では蕎麦、大坂ではうどんの屋台が立ち並び、労働者たちが手早く食事を済ませる場所として定着します。何かを習得したい時はその道の家元に入門するというシステムが料理界でも確立され、平和な時代の中で食の世界はより洗練され、大きく多様化していきました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

都市部では外食産業が発展し、レシピ本の普及や天ぷらなどの海外グルメの流入によって食文化が豊かになりました。四条流などのプロの技術が一般にも広まり、蕎麦やうどんといった手軽な食事も定着することで、江戸の食卓は現代に通じるような、洗練された多様性を持ち始めていたのです。

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農村で質素な食事をとる農民たちの様子


── しかし、都市の繁栄の裏側で、農村の現実は全く異なるものでした。

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雑穀さえ満足に食べられない農民の「貧困」

麦飯:白米よりも安価なため、庶民や節約を重んじる武士が日常的に食べていた大麦入りの主食
胡麻の油と百姓:どちらも絞れば絞るほど出るという比喩を用いて、農民からの年貢搾取を正当化した言葉
田中丘隅:農民出身でありながらその才能を見出され、幕政改革に携わった江戸時代中期の役人

都市が飽食を極める一方、農民の生活は過酷でした。幕府は農民を鷹に例え、甘やかすと働かなくなると考え、米や酒の摂取を禁じます。彼らは作った米を年貢として奪われ麦飯や粟に野菜を混ぜた雑穀粥で空腹を紛らわせていました。「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出る」という非情な言葉が、その扱いを如実に物語っています。


農民出身の役人である田中丘隅などの記録によれば、多くの農民は正月の三が日でさえ米を食べられず、早朝から深夜まで過酷な労働に従事していました。年貢を払えない者は家族を売り村を捨てて都市へ流出せざるを得ません。華やかな江戸文化の輝きは、こうした地方農村の犠牲と極度の貧困の上に成り立っていた側面があるのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

農民の生活は都市とは比較にならないほど貧しいものでした。幕府の方針により、自分たちが作った米を食べることを許されず麦飯や雑穀で飢えをしのぎました。田中丘隅が記録したように、彼らは胡麻の油と百姓同様に搾取の対象とされ、その過酷な労働が都市の繁栄を支えていたのです。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:光と影が交錯する江戸の「日常」

江戸時代の日常は、平和な世の中が生み出した多様性と、厳しい身分制度による格差が同居していました。質素な武士と豪華な町人という逆転現象、花開く外食文化、そしてそれらを支える農村の壮絶な貧困。私たちがイメージする「江戸の暮らし」は、誰の視点に立つかによって、その景色を全く変えてしまうのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

質素な武士と豊かな町人の食事格差
天ぷらや蕎麦など多彩な外食文化
搾取され米も食べられない農民の貧困

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.なぜ将軍のような偉い人まで質素な食事をしていたのですか?

儒教の影響で贅沢を戒める思想があったためです。家康や秀忠は、家臣に示しをつけるために自ら麦飯を食べて倹約の模範となりました。

Q2.天ぷらは日本発祥の料理ではないのですか?

はい、ポルトガルの宣教師が伝えた料理がルーツです。油で揚げる調理法が江戸時代に広まり、屋台料理として日本独自に進化しました。

Q3.農民は本当に自分たちの作ったお米を食べられなかったのですか?

多くの貧しい農民はそうでした。米は年貢として納めるものであり、自分たちは雑穀や野菜を主食とし、正月ですら米を食べられない人が大勢いました。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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