▼ この記事でわかること
ペリー来航による混乱の中、幕府は日米和親条約を締結しますが、これは「不平等条約」の始まりに過ぎませんでした。続くハリスとの交渉では、イギリスの軍事的脅威を背景に、関税自主権の喪失や治外法権を含む日米修好通商条約を強いられます。
これにより日本は経済的植民地化の危機に瀕し、さらに孝明天皇の激しい反発を招くなど、幕末の動乱は決定的なものとなりました。本稿では、ハリスの交渉術と条約の核心に迫ります。
幕府を追い詰めたハリスの強引な「交渉」
ペリーの黒船来航は、江戸城をパニックに陥れました。どう対応すべきか確信が持てなかった老中首座の阿部正弘は、前例を破り全国の大名に意見を求めたのです。しかし、これが幕府の権威失墜を招きました。結局、幕府は有効な手立てを打てず、再来航したペリーに対し日米和親条約を締結し、下田と箱館を開港することになります。
しかし、これは西洋列強がアジアで展開していた非公式帝国主義の入り口に過ぎませんでした。彼らは領土を奪うコストを避け、条約によって経済的利益だけを吸い上げるシステムを構築していたのです。日本もまた、中国(清)と同じく、武力を背景にした外交圧力によって、不利な条件を飲まされる「不平等条約」の時代へと引きずり込まれていきます。
🔍 つまりどういうこと?🔍
ペリーの圧力に屈した幕府は、鎖国を解き開国へと舵を切りました。しかし、それは対等な交流の始まりなどではなく、西洋列強がアジア諸国に対して行っていた「領土は取らないが、条約の力で経済的に搾取する」という、非公式帝国主義と呼ばれる不平等な支配構造の始まりだったのです。
── では、さらに過酷な要求を突きつけたハリスの動きを見ていきましょう。
将軍を脅したハリスの巧みな「弁舌」
下田の玉泉寺に領事館を構えたタウンゼント・ハリスは、非常に強引な交渉官でした。彼は「大統領の親書を将軍に直接手渡す」と主張して18ヶ月も粘り、ついに江戸での謁見を実現させます。そこで彼が切り出したのは、日米修好通商条約の締結でした。彼は、アヘン戦争で中国を打ち負かしたイギリス艦隊が日本に向かっていると脅しをかけたのです。
「イギリスの過酷な要求を飲むより、私と平和的に条約を結ぶ方が賢明だ」というハリスの言葉に、幕府は抗えませんでした。この条約は、横浜、長崎、新潟、兵庫の開港に加え、外国人の永住権や領事裁判権(治外法権)を認めるものでした。これにより、日本国内で外国人が犯罪を犯しても、日本が裁けないという屈辱的な状況が生まれたのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
ハリスは、他国(特にイギリス)の軍事的脅威を交渉材料に使い、幕府に不利な条約を認めさせました。これにより日本は、主要な港をすべて開放しただけでなく、国内にいる外国人を日本の法律で裁くことができないという、国家主権の一部を放棄させられる深刻な事態に陥ったのです。
💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。
── では、この条約が日本の未来にどのような影を落としたのか、具体的な中身を確認しましょう。
経済と主権を奪い去った「不平等条約」
ハリス条約の最大の毒は、経済面にも及びました。日本は関税自主権を奪われたため、アメリカからの輸入品に関税をかけて国内産業を守ることができなくなったのです。さらに厄介だったのが片務的最恵国待遇です。これは、将来日本が他国とより良い条件を結んだ場合、自動的にアメリカにもその好条件が適用されるという「おまけ」つきのルールでした。
この条約は、イギリス、フランス、ロシア、オランダとも同様に結ばれ(安政の五か国条約)、日本は不平等な関係の網に絡め取られました。特に、京都に近い兵庫(神戸)の開港は、外国嫌いの孝明天皇を激怒させました。天皇の許可(勅許)を得ずに条約を結んだ幕府に対し、朝廷の不信感は頂点に達し、これが倒幕運動への火種となっていきます。
🔍 つまりどういうこと?🔍
日本は裁判権だけでなく、経済を守るための「関税を決める権利」も奪われました。さらに、どの国とも「一番良い条件」で付き合わねばならないルールまで課せられたのです。この屈辱的な外交敗北は、外国嫌いの天皇の激しい怒りを買い、幕府の寿命を縮める決定的な要因となりました。
── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。
── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:幕末の動乱を決定づけた「代償」
ペリーが開けた扉を、ハリスが強引にこじ開けたことで、日本は世界経済の荒波に放り込まれました。治外法権による主権の侵害と、関税自主権の喪失による経済的打撃。これらは明治時代を通じて日本が解消を目指す「宿題」となります。不平等条約は、単なる貿易のルールではなく、日本の国家存立を脅かす鎖だったのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣ハリスが幕府に迫った強硬な開国要求
‣関税自主権と治外法権を奪われた不平等条約
‣京都に近い兵庫開港が招いた朝廷の激怒
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.なぜ阿部正弘は大名たちに意見を聞いたのですか?
前例のない事態に確信が持てなかったためです。しかし、これが幕府の弱さを露呈させ、権威を低下させる結果となりました。
Q2.和親条約と修好通商条約の大きな違いは何ですか?
前者は薪水の提供と避難港の確保が主でしたが、後者は本格的な「貿易」を開始し、日本に不利な不平等条件を含んでいた点です。
Q3.なぜ孝明天皇は条約に強く反対したのですか?
もともと外国人嫌いだったことに加え、皇居のある京都に近い「兵庫(神戸)」が開港されることに強い危機感を抱いたからです。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
🖋この記事を書いた人🖋
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

当ブログと相性が抜群!図表が大量に掲載され、
学び直しに最適な一冊。
ご購入はこちらから
専門書も、スマホで手軽に読み放題。




コメント欄 [スレッド上限:5階層]※暴言等含むコメントは非表示