薩長同盟と坂本龍馬の真実!裏切りの倒幕舞台裏|5分de探究#089

江戸時代
薩長同盟と坂本龍馬の真実!裏切りの倒幕舞台裏|5分de探究#089
なぜ犬猿の仲だった薩摩と長州は手を組むことができたのか?


学校の歴史の教科書には載らない禁断の裏切りドラマがありました、坂本龍馬が仕掛けた「起死回生の一手」を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 薩長同盟の裏で坂本龍馬が果たした役割とは?


坂本龍馬が仲介し、長州への武器支援を約束した軍事同盟です。これにより幕府軍は敗北し、倒幕が加速しました。

幕府の支配が揺らぐ中、犬猿の仲だった薩摩と長州が歴史的な同盟を結びました。仲介したのは土佐の脱藩浪人、坂本龍馬です。この同盟により幕府軍は敗北し、権威は失墜。

さらに若き将軍・家茂の病死と、幕府擁護派だった孝明天皇の謎の急死が重なります。旧体制が崩れ去り、15歳の明治天皇が即位するまでを描いた激動の舞台裏。なぜ彼らは手を組めたのか?徳川の世が終わる決定的な瞬間を、わかりやすく紐解いていきます。

龍馬が繋いだ仇敵同士の「薩長同盟」

薩長同盟:薩摩と長州が倒幕へ向けて手を結び、軍事的な攻守同盟を確約した極秘の政治協定。
坂本龍馬:土佐藩を脱藩し、犬猿の仲だった両藩の間を取り持ち同盟成立に尽力した稀代の志士。
第二次長州征伐:幕府が長州藩を武力で従わせようと攻撃を仕掛けたが、返り討ちに遭い敗北した戦争。

これまで激しく対立していた薩摩と長州ですが、共通の敵である幕府の圧力が強まる中、生き残りをかけた現実的な判断を迫られていました。そこで登場するのが、中立的な第三者である坂本龍馬です。彼の仲介による「薩長同盟」は、単なる和解ではなく、倒幕を見据えた軍事支援まで含む、極めて具体的かつ画期的な秘密合意だったのです。


この同盟の効果は絶大でした。幕府が威信をかけた第二次長州征伐において、薩摩は出兵命令を拒否し、裏で長州へ武器を流したのです。結果、幕府軍は歴史的な敗北を喫します。現代で言えば、競合他社が水面下で手を組み、トップ企業を市場から追い出すような、あまりに衝撃的な展開だったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

倒幕という目的のため、敵対していた薩摩と長州が坂本龍馬を介して手を組みました。この歴史的な裏切りにより幕府軍はまさかの敗北を喫し、盤石と思われた徳川の支配体制は音を立てて崩壊へと向かい始めたのです。絶対的な権力が崩れ、新しい時代への扉が開かれる決定的な瞬間でした。


大阪城へ向けて行軍を開始する幕府軍の行列


── では、この敗北が幕府に何をもたらしたのか見てみましょう。

スポンサーリンク

敗北が招いた徳川幕府の「権威失墜」

マックス・ヴェーバー:国家とは暴力の正当な独占であると定義し、権力の正当性を説いたドイツの社会学者。
徳川家茂:わずか十三歳で将軍となり、幕末の動乱期を背負いながら若くして病に倒れた第十四代将軍。
徳川慶喜:家茂の死を受けて第十五代将軍に就任し、崩れゆく幕府の幕引きを担うことになった最後の将軍。

社会学者マックス・ヴェーバーは国家を「暴力の正当な独占」と定義しましたが、長州に敗れた幕府は、もはや武力でルールを強制できない弱さを露呈しました。さらに追い打ちをかけるように、若き将軍・徳川家茂が滞在先の大坂城で、わずか二十歳の若さで急死するという、あまりに痛ましい悲劇までもが起きたのです。


混乱の中、後継者として白羽の矢が立ったのが徳川慶喜です。彼は家茂の死を極秘にしながら長州との停戦を急ぎました。しかし各地の藩が公然と幕府の命令を無視し、勝手に外国と武器取引を始める中、慶喜は崩れゆく幕府をなんとか立て直そうと、前例のない極めて困難な舵取りを、孤独に迫られることになったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

武力による支配力を完全に失った幕府は、将軍・徳川家茂の死によってさらに求心力を低下させました。後を継いだ徳川慶喜は、もはや制御不能になった全国の諸藩を前に、かつてない苦しい立場に立たされたのです。幕府の権威は地に落ち、誰も命令を聞かないという末期的な状態でした。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


わずか十三歳で将軍となり、幕末の動乱期を背負いながら若くして病に倒れた徳川家茂


── では、最後の頼みの綱がどうなったか確認しましょう。

スポンサーリンク

最後の砦だった孝明天皇の「崩御」

孝明天皇:幕府との協調を望み、過激な倒幕運動を嫌って公武合体を推進した保守的な第百二十一代天皇。
天然痘:高熱と発疹を伴う致死率の高い感染症で、天皇の死因として幕府から公式発表された病名。
睦仁親王:父である孝明天皇の急死を受け、わずか十五歳で即位することになるのちの明治天皇。

新将軍・徳川慶喜の最大の後ろ盾は孝明天皇でした。天皇は外国を嫌う一方、幕府の存続を望んでいたからです。しかし天皇は高熱に倒れ、天然痘の診断直後にあっけなく崩御しました。回復途中の不可解な急変だったため、当時から岩倉具視らによる毒殺説も根強くささやかれ続けています。


幕府を守る最後の盾が失われ、皇位はわずか十五歳の睦仁親王(のちの明治天皇)へと引き継がれました。若き天皇はまだ政治的な定見を持たず、周囲の公家たちの影響を受けやすい立場にありました。これにより、倒幕を目論む薩摩や長州などの反幕府勢力にとって、事態を一気にひっくり返すこれ以上ない絶好の機会がついに訪れたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

幕府存続を支持していた孝明天皇が謎の死を遂げたことで、徳川家は最大にして最強の後ろ盾を失いました。若き睦仁親王の即位は、倒幕派が主導権を握る時代の到来を決定づけたのです。幕府を守るものはなくなり、歴史の歯車は倒幕へと音を立てて大きく回転し始めました。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

📚続けて読みたい 5分de探究記事📚

次回のお話はこちら!

大政奉還と王政復古の大号令!徳川幕府の終焉|5分de探究#090
徳川慶喜はなぜ戦える力がありながらあっさり政権を返したのでしょうか?実はあれ、諦めたわけではなく起死回生を狙った高度な計算があったのです。その狙いと誤算、幕府崩壊を"5分"で紐解きます。
  • STEP 1.一気読みでサクッと把握5min

  • STEP 2.この記事で理解を深める5min

  • STEP 3.拡大版noteで裏側まで10min

── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

スポンサーリンク

まとめ:歴史が動いた激動の「舞台裏」

龍馬の仲介による薩長同盟幕府軍の敗北、そして将軍と天皇の相次ぐ死。これら一連の出来事は、徳川の世が終わるための条件が全て整ったことを意味していました。権力の空白地帯が生まれ、時代は一気に「明治」へと加速していきます。絶対的な権威の崩壊は、新しい時代が生まれるための避けられない痛みだったのかもしれません。
この記事のポイントは、以下の3つです。

龍馬が繋いだ薩長同盟
敗戦と家茂死による権威失墜
後ろ盾を失う孝明天皇の崩御

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.なぜ薩摩と長州は仲が悪かったのですか?

関ヶ原の戦い以来の確執に加え、直近の「禁門の変」で直接戦火を交えたためです。しかし幕府への警戒感が両者を結びつけました。

Q2.坂本龍馬は本当に重要人物だったのですか?

後世に神格化された面はありますが、中立的な立場で薩長同盟を仲介した功績は史実です。実務的な調整役として機能しました。

Q3.孝明天皇は本当に暗殺されたのですか?

ヒ素中毒と症状が似ているため暗殺説は根強いですが、証拠はありません。公式には天然痘による病死とされています。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
── 最後まで読んでくれたあなたへ。「5分の枠」には収まりきらなかった、もっとディープな歴史の裏側を覗いてみませんか?
📚このテーマのロング版記事📚


※鋭意製作中です。

👇noteではこんな話をしてます(目次)👇

※鋭意製作中。今しばらくお待ちください


スポンサーリンク
── もっと深く知りたい人向けに本のご紹介。

🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

本の表紙

当ブログと相性が抜群!図表が大量に掲載され、
学び直しに最適な一冊。
ご購入はこちらから

「高くてかさばる」歴史専門書の悩みにKindle Unlimitedなら、手が出しにくい
専門書も、スマホで手軽に読み放題。

江戸時代
大人の日本史学び直し。

コメント欄 [スレッド上限:5階層]※暴言等含むコメントは非表示

タイトルとURLをコピーしました