池田勇人と所得倍増計画!岸信介と真逆の低姿勢|5分de探究#120

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池田勇人と所得倍増計画!岸信介と真逆の低姿勢|5分de探究#120
なぜ池田勇人は、あえて低姿勢を貫き通したのでしょうか?


安保闘争の混乱を収め、高度成長を実現した裏側には、野党を骨抜きにする計算がありました。その全貌を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 池田勇人が低姿勢で所得倍増計画を成功させた理由とは?


岸信介の失敗に学び、憲法改正を封印して野党と協調するふりをし、対立軸を経済成長へずらしたからです。

1960年の安保闘争で岸内閣が倒れた後、池田勇人が首相に就任しました。彼は岸の強硬姿勢とは真逆の低姿勢を掲げ、寛容と忍耐をスローガンに野党と協調する道を選びます。

一方、高度経済成長による都市化で本来有利になるはずだった日本社会党は、内部対立に明け暮れて好機を逃しました。池田は憲法改正を封印して対立軸を奪い、政権を安定させることに成功します。その後の自民党長期政権の礎となった、池田の巧みな政治戦略野党の自滅の過程を解説します。

📚お読みになる前に📚

岸信介と真逆!池田勇人の「低姿勢」

池田勇人:吉田茂の弟子であり、大蔵省出身の官僚から総理大臣に上り詰めた実力派の政治家。
岸信介:安保闘争の混乱で退陣し、高姿勢な振る舞いが国民の猛反発を招いてしまった前首相。
低姿勢:権威を振りかざさず、国民に対して親しみやすさをアピールし続ける独特の政治手法。

1960年の安保闘争で倒れた岸信介の後を受け、池田勇人が首相の座に就きました。岸があまりにも高姿勢で傲慢だと批判され、最後には暴漢に襲われるほどの憎悪を買ってしまったのに対し、池田は徹底してイメージ戦略を変えます。彼は自らを低姿勢な庶民派として演出し、荒れ狂う国民の感情を鎮めようと腐心したのです。


具体的には、料亭政治を避けて記者を自宅に招いたり、インタビューに愛想よく応じたりと、とにかく「岸のようにはならない」ことに注力しました。過去には失言もありましたが、首相就任後は人が変わったように振る舞い、親しみやすいリーダー像を確立します。この巧みな変身こそが、自民党への逆風を止める最初の防波堤となりました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

傲慢さで失脚した岸信介の反省を生かし、後任の池田勇人は徹底した低姿勢を貫きました。親しみやすいキャラを演じることで、安保闘争で高まった自民党への批判をかわそうとしたのです。国民の怒りを鎮めるには、政策よりもまずはリーダーの態度を変えることが最善だと判断した、極めて計算高いイメージ戦略でした。


笑顔で記者団の質問に答える池田勇人首相の様子


── では、当時の野党側の状況はどうだったのでしょうか。

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農村から都市へ!社会党の「自滅」

都市化:農村から都市へと人口が移動し、本来なら革新政党である社会党に有利となる人口動態。
日本社会党:自民党に対抗する最大勢力だったが、激しい内部対立により支持拡大の機会を逃した政党。
新選組:滅びゆく幕府を守る姿に例えられた、当時の自民党に対する自虐的で皮肉めいた比喩。

当時、日本は急速な都市化が進み、自民党の支持基盤である農村人口が減る一方、日本社会党が頼りとする都市労働者は増えていました。自民党議員の石田博英ですら、自党を時代の波に飲まれる新選組に例え、政権転落を危惧したほどです。人口動態の面から見れば、時代の風は完全に自民党ではなく革新勢力へと吹いているはずでした。


しかし、社会党はこの絶好のチャンスを活かせませんでした。理由は単純、終わりのない内部抗争です。国民の生活向上よりも派閥争いやイデオロギー論争に明け暮れ、自ら支持を失っていったのです。共産党の一部過激派による暴走も相まって、左翼全体への不信感が漂い始めます。敵失に乗じるどころか、自滅していったのが実情でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

都市化により自民党は不利、社会党は有利な状況でした。しかし、社会党は内輪揉めでその好機を自ら潰してしまいます。自民党が生き残れたのは、野党側の自滅という側面も大きかったのです。本来なら政権交代が起きてもおかしくない好条件が揃っていたにもかかわらず、内部の足の引っ張り合いで勝手に自壊したのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


国会で野党議員と握手を交わす池田首相の様子


── では、池田はこの状況をどう利用したのでしょうか。

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敵を無力化する!池田の巧妙な「協調」

寛容と忍耐:野党や国民の声に耳を傾ける姿勢を強調した、池田政権における極めて有名なスローガン。
浅沼稲次郎:演説中に右翼少年に刺殺された社会党委員長で、池田が追悼演説を捧げた野党の党首。
憲法改正:岸信介が熱望したが、池田が野党との不毛な対立を避けるために封印した党の悲願。

池田は野党を力でねじ伏せるのではなく、寛容と忍耐というスローガンのもと、懐柔する作戦に出ました。岸時代に奪った国会の委員長ポストを野党に返し、対立の火種だった法案を廃案にします。さらに、暗殺された浅沼稲次郎に対して感動的な追悼演説を行い、敵対する社会党議員すらも涙させるほどの深い敬意を示してみせたのです。


極めつけは、自民党の悲願である憲法改正の棚上げでした。社会党の最大の武器は「護憲」でしたが、池田が「改正はしません」という態度をとったことで、彼らは戦う相手を見失います。争点を政治的イデオロギーから経済成長へとずらすことで、野党の存在感を薄めることに成功したのです。これは単なる善意ではなく、計算され尽くした高度な戦略でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

池田は寛容と忍耐を掲げ、野党に歩み寄るふりをして彼らの攻撃材料を奪いました。憲法改正を封印することで「護憲」を掲げる社会党を無力化し、政治の関心を経済へとシフトさせたのです。対立を煽るのではなく、相手の主張を受け流して争点を消してしまう手法は、社会党にとって真正面から戦うより遥かに厄介な戦略でした。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:自民党長期政権を築いた「戦略」

池田勇人の成功は、単に人柄が良かったからではありません。野党の主張を先回りして無力化し、政治的な対立を避けて経済成長に全集中するという、極めて合理的な戦略の結果でした。彼の低姿勢は、日本の政治をイデオロギー闘争から実利主義へと変える大きな転換点となり、その後の自民党長期政権を決定づけたのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

岸信介の失敗から学んだ池田勇人の低姿勢
人口動態の好機を逃した社会党の内紛
野党の対立軸を奪った巧みな協調路線

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.なぜ池田勇人は「低姿勢」と呼ばれたのですか?

前任の岸信介が傲慢さで批判された反省から、国民や野党に対して謙虚で親しみやすい態度を意識的にとり続けたからです。

Q2.都市化はなぜ社会党に有利だったのですか?

自民党の支持基盤である農家が減り、社会党を支持する都市労働者が増えたからです。しかし、社会党はその波に乗れませんでした。

Q3.「寛容と忍耐」の狙いは何でしたか?

野党の意見を聞くふりをすることで対立を避け、彼らの攻撃材料を奪うことです。これにより、政権運営を安定させました。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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