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戦国〜江戸
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小早川秀秋
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戦国〜江戸
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  1. ご参考までにどうぞ。

    小早川秀秋(1582~1602)

    関ヶ原の戦いにおいて、西軍から東軍へと寝返り、徳川家康に勝利をもたらした決定的なキーマン、小早川秀秋。
    歴史の教科書やドラマでは、優柔不断で主体性がなく、家康の威嚇に怯えて裏切った「情けない裏切り者」の代名詞として描かれることがほとんどです。
    その性格は「卑怯で小心者(クズ)」、能力は「大局観のない若造(無能)」として処理されがちですが、我々偉人判定委員会としては、一度そのステレオタイプな先入観を捨て、彼の人生を多角的に解剖する必要があります。

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    1.性格判定:聖人 vs クズ
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    彼の性格(クズ度)を語る上で外せないのは、やはり関ヶ原における「問い鉄砲」のエピソードでしょう。
    松尾山に布陣したものの、正午を過ぎても動かない秀秋に対し、苛立った家康が威嚇射撃を行い、それにビビり散らかして反射的に寝返ったという話です。これが事実であれば、信念も戦略もない、ただの「臆病なクズ」ということになります。

    また、戦後の彼についても陰惨な噂が絶えません。裏切った相手であり、実質的な義理の関係にもあった大谷吉継が自害する際、「人面獣心なり(人の顔をした獣だ)」と呪った話は有名です。
    その呪いに怯えたのか、彼は戦後わずか2年、21歳の若さで急死しています。死因はアルコール依存による内臓疾患とも、精神錯乱による狂死とも言われています。プレッシャーに弱く、常に周囲の大人の顔色を伺う「日和見主義」な性格であったことは否めません。

    一方で、彼の生い立ちを考慮すると「同情すべき被害者」という側面も浮かび上がります。
    北政所(ねね)の甥として生まれ、豊臣秀吉の養子としてちやほやされたのも束の間、秀頼が生まれるやいなや邪魔者扱いされ、小早川家へ養子に出されるという「たらい回し」の人生でした。
    常に「大人たちの都合」で生かされてきた彼にとって、裏切りとは、乱世で生き残るための必死の処世術だったのかもしれません。これを「信義なきクズ」と断罪するか、「悲哀に満ちた若者」と見るかで評価は分かれるでしょう。

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    2.能力判定:有能 vs 無能
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    「無能」の烙印を押されがちな彼ですが、近年の研究では再評価の流れもあります。
    まず、朝鮮出兵(慶長の役)における蔚山城の戦いでの活躍です。当時まだ十代半ばでありながら、彼は総大将として自ら槍を振るって敵陣へ突撃し、多くの敵を討ち取る武功を挙げています。
    この行動が「総大将として軽率だ」として石田三成らに報告され、秀吉の怒りを買い、大幅な減封処分を受けそうになりました。これが後の関ヶ原での裏切りの動機になったとも言われますが、少なくとも「戦場での個人の武勇」は間違いなく持っていました。

    また、関ヶ原での采配も見方を変えれば「超有能」です。
    彼の率いる1万5000という兵力は、東西両軍にとって喉から手が出るほど欲しい戦力でした。彼はその価値を理解し、松尾山という戦場全体を見渡せる高地を占拠。戦況が最も拮抗し、自軍の行動が決定打になる瞬間まで動かなかったのです。
    結果として、彼が動いたことでわずか一日で日本最大の合戦は決着しました。もし彼が凡庸な無能なら、最後まで動けずに戦後処理で改易されていた可能性すらあります。
    岡山藩主となってからの短い統治期間にも、寺社の復興や検地など、領主としての務めを果たそうとした形跡が見られます。

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    ■ 総評
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    彼は歴史を変えた「無能なクズ」だったのか、それとも「有能だが精神的に脆すぎた悲劇のプリンス」だったのか。
    日本の歴史の行方を決定づけたのは間違いなく彼ですが、その動機が「恐怖」だったのか、それとも計算された「野心」だったのかによって、クズ度・有能度は大きく変わります。
    皆さんは、この「天下を定めた裏切り者」をどう判定しますか?

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