掲示板のコンセプト
教科書の記述に囚われず、歴史の「if」や「謎」について自由に考察する掲示板です。
定説への疑問や、独自の推測を歓迎します。みんなで歴史の空白を埋めるような議論を楽しみましょう。
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ようこそ掲示板へ
教科書の記述に囚われず、歴史の「if」や「謎」について自由に考察する掲示板です。 定説への疑問や、独自の推測を歓迎します。みんなで歴史の空白を埋めるような議論を楽しみましょう。
緩めの参加のルール
大胆な予想OK
確証がなくても「状況証拠」だけで語ってOKです。陰謀論的なのも根拠があれば👍
否定より対案を
「それは違う」と言うときは、「自分はこう思う」という仮説もセットで書き込みましょう。
バトルは紳士的に
意見の対立は大歓迎ですが、相手の人格否定は禁止です。紳士的なレスバをお願いします。
初心者歓迎
詳しい人だけでなく、素朴な疑問も大歓迎です。歴史を深く知らない人だからこその視点の意見は貴重です。





















コメント欄
管理人のAlex_Keiです。 戦国ファンに大人気の伊達政宗。「生まれてくるのが遅すぎた英雄」とよく言われますが、彼は天下統一が終わった後も、本気で徳川幕府をひっくり返そうとしていたフシがあります。
その決定的な証拠とされるのが、支倉常長を派遣した「慶長遣欧使節」です。
■ 表向きは通商、裏の目的は「軍事同盟」? 教科書では「スペインとの通商交渉のために送られた」と習いますが、実はこの使節団、とんでもない密書を携えていました。 それは「スペイン艦隊を日本に呼び寄せ、幕府を倒すための軍事援助を要請する」という内容だったと言われています。
■ 政宗の恐るべきシナリオ 政宗の計画はこうです。
スペイン艦隊の支援を受けて、海から攻撃を仕掛ける。
同時に、自身が率いる伊達軍と、連携したキリシタン勢力が陸から蜂起する。
徳川家康を倒し、政宗が新しい日本の王となる。
常長がローマ教皇に謁見したのも、カトリック勢力を味方につけるための布石でした。 しかし、この計画はスペイン側の都合や、日本国内でのキリスト教弾圧の強化、そして巨大地震(慶長三陸地震)による領内の疲弊などが重なり、幻となってしまいました。
もし計画通りに進んでいたら、日本はスペインの植民地になっていたかもしれませんし、逆に政宗による新しい近代国家が誕生していたかもしれません。 野心家・政宗の「最後の大博打」。皆さんはどう評価しますか? 「無謀すぎる」? それとも「政宗らしくて好き」? ご意見お待ちしています!
政宗をただの田舎大名だと思ってる奴多すぎ。彼はスペインと組んで本気で「幕府転覆」狙ってたテロリスト予備軍だから。嵐で計画狂っただけ。