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コメント欄 [スレッド上限:5階層]※暴言や過激な表現は伏字で
管理人のAlex_Keiです。 今回のテーマは、豊臣家の悲劇のプリンス、豊臣秀頼です。 彼は秀吉と淀殿の間に生まれた待望の跡継ぎですが、どうしても遺伝子的に「おかしい」点があります。
■ 父と息子の体格差 父親の秀吉は「猿」と呼ばれていたことからも分かる通り、小柄で痩せ型(推定150cm前後)でした。 しかし、息子の秀頼は記録によると「6尺5寸(約197cm)」、低く見積もっても180cm後半の超・巨漢だったと言われています。 当時の栄養状態を考えても、小柄な両親から突然NBA選手並みの巨人が生まれるでしょうか?
■ 秀吉の「種」問題 秀吉には何十人もの側室がいましたが、淀殿以外との間に子供は一人も生まれていません(長浜時代の子供は早世)。晩年になって急に生殖能力が復活したとは考えにくく、医学的にも「秀吉は種なしだった」という説が濃厚です。
■ 父親は誰だ? そこで浮上するのが、淀殿の乳兄弟であり側近の「大野治長」などの父親候補です。彼が大柄な男性だったとしたら、全ての辻褄が合います。
徳川家康が、秀頼をそこまで警戒し、豊臣家を根絶やしにしようとした本当の理由は、「秀吉の血を一滴も引いていない偽物」が天下を継ぐことを許せなかったからかもしれません。 皆さんは、秀頼は実子だと思いますか? それとも…。