掲示板のコンセプト
教科書の記述に囚われず、歴史の「if」や「謎」について自由に考察する掲示板です。
定説への疑問や、独自の推測を歓迎します。みんなで歴史の空白を埋めるような議論を楽しみましょう。
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ようこそ掲示板へ
教科書の記述に囚われず、歴史の「if」や「謎」について自由に考察する掲示板です。 定説への疑問や、独自の推測を歓迎します。みんなで歴史の空白を埋めるような議論を楽しみましょう。
緩めの参加のルール
大胆な予想OK
確証がなくても「状況証拠」だけで語ってOKです。陰謀論的なのも根拠があれば👍
否定より対案を
「それは違う」と言うときは、「自分はこう思う」という仮説もセットで書き込みましょう。
バトルは紳士的に
意見の対立は大歓迎ですが、相手の人格否定は禁止です。紳士的なレスバをお願いします。
初心者歓迎
詳しい人だけでなく、素朴な疑問も大歓迎です。歴史を深く知らない人だからこその視点の意見は貴重です。





















コメント欄
管理人のAlex_Keiです。記念すべき掲示板の1つ目のテーマとして、私自身が最もロマンを感じている「信長の南蛮船逃亡説」について、長文の妄想を投下させていただきます。
まず、歴史の教科書では「明智光秀に攻められ、本能寺で自害した」とされていますが、最大の謎は「信長の遺体が骨片ひとつ見つかっていない」という事実です。 当時の木造建築の火災温度では、人間が完全に灰になって消滅することは科学的にあり得ないと言われています。秀吉が後に大捜索を行っても見つからなかった。これは「焼けて消えた」のではなく、「最初からそこにはいなかった」と考えるのが自然ではないでしょうか?
そこで浮上するのが「南蛮船による海外逃亡説」です。
なぜ「南蛮船」なのか?
イエズス会との蜜月関係 信長は宣教師ルイス・フロイスらと極めて親しい関係にあり、地球が丸いことも理解していました。彼らが裏で手引きをした可能性はないでしょうか?
謎の出港記録 本能寺の変の直前直後に、宣教師の乗った船が急遽日本を離れたという記述が一部に残っています。もし信長が、光秀の謀反を事前に察知し、「一度死んだことにして、ほとぼりが冷めるまで海外へ退避する」という策をとったとしたら?
「世界」への野心 「天下布武」を掲げた信長の視線は、すでに国内には留まっていなかったとも言われます。バチカン(ローマ)を目指して海を渡った信長…。
もちろん、「当時の航海技術で可能なのか?」という現実的な壁はありますが、「遺体がない=逃亡成功」と思いたい派です。 皆さんはどう思いますか? 「いやいや、物理的に無理」という冷静な意見から、「実は私の地元には伝説があります」という情報まで、自由に書き込んでください!
遺体ない=死亡不明。常識だろw