神武天皇|東征を成し遂げ、大和の地で初代即位|歴代天皇図鑑

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神武天皇|東征を成し遂げ、大和の地で初代即位|歴代天皇図鑑
あなたは、建国記念の日の本当の由来を説明できますか?


神話と史実の間に立つ初代天皇の実像とは。幾多の苦難を越えた東征から即位までの物語と、現代に深く息づく建国の精神を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q.神武天皇は いかにして東征し即位を果たしたか?


幾多の苦難を八咫烏の導きや神剣の力で乗り越え、宿敵長髄彦を倒し畝傍橿原宮で初代即位しました。

日本の初代天皇とされる神武天皇。日向国で誕生し、45歳で東征を開始しました。長髄彦との激戦や熊野での苦難を、八咫烏の導きや神剣の力で乗り越え、大和国を平定。畝傍橿原宮で即位し、建国を宣言しました。

その即位日は現在の建国記念の日とされています。明治以降の皇国史観や、戦後の考古学的視点、那珂通世による辛酉革命説などの学説も交え、神話と歴史の狭間に立つその生涯と功績をわかりやすく解説します。

東征を成し遂げ大和で初代即位

神日本磐余彦天皇:日本書紀に記される神武天皇の和風諡号であり、即位して天皇となる以前の名称。
五瀬命:東征の途上における長髄彦軍との激戦で矢傷を負い、無念の戦死を遂げた神武の兄。
八咫烏:熊野の山中で道に迷った神武天皇の軍勢を、大和へと安全に導いた伝説の神の使い。

日本の歴史における最初の1ページは、決して順風満帆なスタートではありませんでした。日向国で生まれた神日本磐余彦天皇(後の神武天皇)は、45歳でより良い統治の地を求め、東方への遠征を決意します。しかし、その道のりは困難を極めました。難波での戦いでは、兄である五瀬命を失い、撤退を余儀なくされるという手痛い敗北を喫しました。


正面突破に失敗した一行は、紀伊半島を大きく迂回するルートをとりますが、熊野の山中で道に迷ってしまいます。ここで彼らを救ったのが、天照大神が遣わした八咫烏でした。この神の使いの導きにより、軍勢は地形の険しい山岳地帯を突破することに成功します。この一連の流れは、目的達成のためには時に回り道も必要であるという教訓を含んでいます。

🔍 つまりどういうこと?🔍

初代天皇の建国物語は、圧倒的な武力による一方的な征服劇などではなく、敗北とそこからの軌道修正の連続でした。太陽に向かって戦う愚を悟り、柔軟にルートを大きく変更し、現地の協力者や八咫烏ら神の導きを素直に受け入れることで、ようやく大和への道が開かれたのです。


荒れ狂う熊野の海と、その先に見える希望の光をイメージした画像


── 失敗を糧にして、新たな道へ進みましょう。

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橿原の地で宣言された建国の詔

長髄彦:大和地方を支配しており、神武天皇の軍勢を最後まで苦しめ続けた強力な指導者。
饒速日命:長髄彦が主君と仰ぐも、天神の子である神武に帰順し忠誠を誓った同族の神。
畝傍橿原宮:苦難の東征を成し遂げた神武天皇が、第一代天皇として即位した際に開いた宮殿。

大和への侵入を果たした一行の前に立ちはだかったのは、宿敵である長髄彦でした。激しい決戦の最中、金色の鵄が神武天皇の弓に止まり、その輝きで敵軍を圧倒したと伝わります。しかし、勝利を決定づけたのは武力だけではありません。長髄彦が主君と仰ぐ饒速日命が、神武天皇の持つ神器を見て同族であることを認め、帰順したことが決定的でした。


抵抗勢力を平定し、大和を統一した神武天皇は、畝傍橿原宮にて即位の礼を行います。これが、日本という国家の始まりとされる瞬間です。西暦に換算すると紀元前660年の2月11日となり、現在の建国記念の日の由来となっています。即位に際しては八紘為宇、つまり世界を1つの家のように平和に治めるという理念が宣言されました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

新しい国家の成立には、単なる武力制圧だけでなく、自らの正当性の証明既存勢力の巧みな統合が不可欠でした。神武天皇は敵を武力でねじ伏せるだけでなく、同じ祖神を持つ有力者を味方につけることで、大和の地における統治基盤を、より盤石で安定したものへと変えていったのです。


橿原神宮の荘厳な社殿と、初代天皇即位の地を示す風景


── 建国の瞬間の情景に、思いを馳せましょう。

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史実と神話が交錯する存在証明

辛酉革命説:干支の辛酉の年に大きな社会的変革が起きるとする、古代中国由来の歴史予言説。
橿原遺跡:橿原神宮外苑の地下一帯から発見された、縄文時代晩期における大規模な集落遺跡。
津田左右吉:記紀の記述を批判的に分析し、神武天皇の実在性に疑義を呈した近代の歴史学者。

神武天皇は実在したのでしょうか。明治時代の学者、那珂通世は、即位年が辛酉革命説に基づいて逆算されたものであるとし、紀元前660年という年代に科学的根拠がないことを指摘しました。大正時代には津田左右吉が、神武東征の物語は皇室の正統性を主張するための神話であると論じ、この実在論争は近代歴史学の大きなテーマとなりました。


一方で、考古学的な発見は神話と不思議な一致を見せることがあります。橿原神宮の地下の橿原遺跡からは、縄文時代の大規模な埋没林が見つかっており、古代にこの地が重要拠点だったことを裏付けます。神武天皇が個人の伝記として正確でなくとも、建国期の歴史的事実や集団移動を反映している可能性は否定できません。

🔍 つまりどういうこと?🔍

神武天皇の物語は、現代において「史実そのもの」ではないかもしれませんが、古代の「真実を含んだ重要な伝承」として捉え直されています。考古学と文献史学、双方の客観的な視点を併せ持つことで、日本の黎明期におけるダイナミックな社会の動きが、より鮮明に見えてくるのです。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:日本の礎を築いた初代の軌跡

日本の起源とされる神武天皇の物語。それは単なる英雄譚ではなく、数多の失敗と、それを乗り越えるための柔軟な知恵、そして異なる勢力を統合していく政治力の記録でもありました。神話として長く語り継がれてきたその姿の中には、国家形成期の激動と、古代人たちの平和への祈りが、今も確かに込められています。
この記事のポイントは、以下の3つです。

挫折を経て大和を平定した東征の物語
土着の勢力を統合し橿原で初代即位
神話と史実の狭間で揺れる建国の真実

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.建国記念の日が2月11日なのはなぜですか?

日本書紀にある即位日「辛酉年春正月庚辰朔」を、明治時代に太陽暦であるグレゴリオ暦に換算した日付だからです。

Q2.神武天皇は実在した人物といえるのですか?

紀元前660年の即位は否定的な見方が強いですが、モデルとなった指導者の実在そのものを認める説も存在しています。

Q3.神武東征から現代人が学べることは何ですか?

真正面からの攻撃で失敗した際、迂回して味方をつけるなど、状況に応じた柔軟な戦略をとる重要性が学べます。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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