歴史を貫く「定数」と、移ろいゆく「変数」——暗記からの脱却

徒然なるままに→

「歴史の勉強」と聞いた瞬間、多くの人が思い浮かべるのは、年号や人名、戦いの名前といった膨大なキーワードの暗記ではないでしょうか。

「1192年(今は1185年説が有力ですが)に鎌倉幕府が成立」「1600年に関ヶ原の戦い」……。学生時代、私たちはこうした知識をどれだけ正確に覚えているかで評価されてきました。

しかし、大人になって改めて歴史に向き合うとき、あるいは私のブログで海外の歴史観に触れるとき、本当に面白いのはそうした個別の出来事そのものではありません。

より重要なのは、時代を超えて繰り返されるパターンを見抜く力です。


元となったエッセイでは、「頭の良さとは、状況の中にある『変数』と『定数』を見抜く力である」と定義されていました。これは、歴史の学び直しにおいてこそ、最も強力な武器になります。

歴史における「変数」と「定数」。この二つのレンズを持つことで、無味乾燥な年表は、生きた人間たちのドラマと構造のシミュレーションへと姿を変えるのです。

歴史における「変数」とは何か

歴史における「変数」とは、その時代特有の条件や、偶然性の高い要素を指します。

たとえば、織田信長という個人の性格、本能寺の変が起きたタイミング、その年の気候による不作、あるいはペリーが来航した際のアメリカ大統領の政治方針などです。

これらは非常にドラマチックで、物語を彩る重要な要素です。小説やドラマは、主にこの「変数」に焦点を当てて描かれます。「もしもあの時、信長が死ななければ」というIFの想像がかき立てられるのも、ここが不安定で流動的な「変数」だからです。

しかし、変数ばかりを追いかけていると、歴史は「次から次へと予期せぬことが起こるカオスな物語」にしか見えません。「昔の人は変わったことをしていたな」「英雄はすごいな」という感想で終わってしまい、現代の私たちに応用できる知恵が抽出できないのです。

歴史における「定数」とは何か

一方で、歴史には驚くほど変わらない「定数」が存在します。

最も強固な定数は「地理」です。日本が島国であること、山がちで平野が少ないこと、大陸との距離感。これらは数千年単位で変わりません。

だからこそ、白村江の戦いから元寇、そして近現代の防衛論に至るまで、「海洋からの脅威にどう備えるか」というテーマが繰り返し現れます。これが定数です。


もう一つの強力な定数は「人間の本質(心理)」です。

「人は利益に聡い」「権力が集中すれば腐敗する」「集団は外部に敵を作ることで結束する」「恐怖と欲望が人を動かす」。

プラトンや孫子の時代から語られているこれらの心理は、平安貴族だろうが、戦国武将だろうが、現代のビジネスマンだろうが、ほとんど変わりません。

たとえば、江戸幕府が260年以上も続いた理由を考えるとき、「徳川家康が賢かったから(変数)」だけで片付けるのは不十分です。

「参勤交代で経済力を削ぐ」「鎖国で情報の流入を統制する」といったシステムが、人間の「反乱を起こすには資金と大義名分が必要だ」という普遍的な心理(定数)を巧みに突いていたからこそ、システムとして機能したのです。

「変数」と「定数」で歴史を再構築する

大人の歴史の学び直しとは、この「定数」を軸にして、歴史の流れを読み解く作業だと言えます。

例えば、「なぜ明治維新は起きたのか?」という問いを立ててみます。

教科書的に言えば、ペリーが来て、尊王攘夷運動が起きて、薩長が同盟を結んで……となりますが、これは変数の羅列です。


定数の視点で見ると、どうなるでしょうか。

まず、当時の世界情勢という定数があります。「産業革命を経た欧米列強は、市場と資源を求めてアジアへ進出する」という経済的・軍事的な力学です。これは誰が止めようとしても止まらない、当時の物理法則のようなものです。

次に、国内の定数。「貨幣経済が浸透し、米を基準とする幕藩体制の経済基盤が限界を迎えていた」という経済原理です。武士は困窮し、商人が力を持つ。これは家康の作ったシステムと実体経済とのズレが極限に達していたことを意味します。

こうして定数を見ると、明治維新は「起きるべくして起きた構造転換」であることがわかります。ペリー来航(変数)はあくまで引き金に過ぎず、もしペリーが来なくても、遅かれ早かれ別の誰かがきっかけとなって、体制の崩壊は起きていたでしょう。

「定数」を押さえていると、歴史の必然が見えてきます。「誰がやったか」ではなく「なぜそうなったか」が腹落ちする瞬間です。

現代への応用:私たちは何を学べるか

この「変数と定数の識別眼」を養うことこそが、私たちが歴史を学ぶ最大のメリットです。

現代社会もまた、激しい変化の波(変数)にさらされています。

AIの台頭、国際情勢の変化、流行の移り変わり。

これらに一喜一憂していると、不安は尽きません。

しかし、歴史という壮大なケーススタディを通じて「人間集団の力学」や「地政学的な制約」といった定数を学んでいれば、「形は違えど、これはローマ帝国末期と同じパターンだ」や「これは産業革命期に起きた労働市場の変化と本質は同じだ」といった冷静な視点を持つことができます。

表面的なニュース(変数)に振り回されず、その奥にある変わらない構造(定数)を見抜く。

「頭が良い」とは、知識の量ではなく、この構造を見抜くセンスのことだと冒頭のエッセイは説いていました。歴史翻訳ブログを通じて私が皆さんに提供したいのも、まさにそのセンスです。


海外の歴史家やジャーナリストが日本の歴史を語るとき、彼らはしばしば細かな年号(変数)を間違えます。

しかし、彼らの分析が時として私たち日本人以上に鋭いのは、彼らが「地政学」や「権力構造」といったマクロな定数の視点から日本史を俯瞰しているからです。

細部は間違っていても、大局が合っている。逆に、私たちは細部(変数)にこだわりすぎて、大局(定数)を見失いがちです。

これから歴史の本を読むとき、あるいは私のブログ記事を読むとき、ぜひ意識してみてください。「この出来事の中で、時代特有の『変数』はどこで、時代を超えて通用する『定数』はどこだろう?」と。

その問いかけを繰り返すことで、歴史は単なる過去の記録から、未来を生き抜くための「思考のOS(基本ソフト)」へとアップデートされていくはずです。変わるものを楽しみ、変わらないものを信じる。そのバランス感覚こそが、教養ある大人の歴史観なのだと思います。

[この記事を書いた人]

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。


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