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幕末〜明治
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徳川慶喜
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幕末〜明治
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  1. まとめておきました。

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    【判定対象】徳川慶喜(江戸幕府第15代将軍)
    【テーマ】 亡国の名君か、自己保身の卑怯者か?
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    徳川十五代将軍の中で「最も知能が高い」と評されながら、自らの手で幕府を葬り去った男、徳川慶喜。彼ほど評価が定まらず、毀誉褒貶の激しい人物はいません。「家康の再来」と謳われた天才は、なぜ最後に「逃亡者」となったのか。その複雑怪奇な内面に迫ります。

    ■能力評価:政治マシーンとしての超絶技巧
    政治的なスペックだけで見れば「極めて有能」です。水戸学の尊皇思想を背景に持ち、一橋派の期待を背負って将軍後見職に就任して以降、京都の朝廷工作から幕政改革まで、八面六臂の活躍を見せました。
    特に有名なのが、薩長による武力倒幕の大義名分を消滅させた「大政奉還」です。政権を朝廷に返上しつつ、実質的な主導権は徳川が握り続けるという構想は、凡人には到底思いつかないウルトラCの奇策でした。状況分析能力、先を読む力、そして既成概念に囚われない発想力は、歴代将軍の中でも突出しています。

    ■性格評価:究極のサイコパスか、冷徹なリアリストか
    しかし、人格面での評価となると「クズ」の声が圧倒的です。その最大の要因は、鳥羽・伏見の戦いにおける敵前逃亡です。
    開戦直前、「千兵が最後の一兵になろうとも退かぬ」と大演説を行い、部下を鼓舞した慶喜。しかし、戦況が不利になり、朝廷から「朝敵」とされるや否や、前線の兵士を置き去りにして、側近と愛妾だけを連れて軍艦・開陽丸で江戸へ逃げ帰りました。会津藩主・松平容保すら置き去りにしたこの行動は、武士の風上にも置けない卑怯な振る舞いです。
    また、彼には「二心殿(にしんどの)」というあだ名がありました。状況に合わせて言うことがコロコロ変わるため、誰も彼を信用できなかったのです。自分を将軍に推してくれた恩人たちを平気で切り捨てる冷徹さや、維新後、かつての幕臣たちが困窮する中で、自分は多趣味な隠居生活(写真、狩猟、自転車など)を優雅に楽しみ、最後は公爵・貴族院議員として復活を遂げる神経の図太さは、ある種のサイコパス性を感じさせます。

    ■総評
    一方で、彼があの時点でさっさと逃亡し、恭順姿勢を貫いたおかげで、江戸が火の海にならず、フランスやイギリスによる内政干渉を防げたという見方もできます。「自分のプライドや部下の命」よりも「徳川家の存続」と「日本の植民地化回避」を優先した、感情を排した究極の合理主義者だったのかもしれません。

    彼は、部下を見殺しにして生き延びた「最低の卑怯者」なのか?
    それとも、泥をかぶって日本を救った「孤独な政治家」なのか?
    あまりに人間味のないその合理性を、皆さんはどうジャッジしますか?

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