織田信長の家系図は嘘?低身分からの天下布武|5分de探究#061

安土桃山時代
織田信長の家系図は嘘?低身分からの天下布武|5分de探究#061
【この記事は5分ほどで読めます】
織田信長は最初から最強の武将だったと思いますか?
実は弱小勢力からのスタートで、周囲は敵だらけの苦しい状況でした。この記事を読めば、逆境を乗り越え未来を切り開く信長の知略が学べます。

織田氏は当初、尾張国の支配者ではなく、守護の斯波氏に仕える「守護代」の家系に過ぎませんでした。信長の父・信秀は、今川氏斎藤氏といった近隣の強豪と争いながら勢力を拡大しましたが、国内の完全な掌握には至らずに世を去ります。

1551年に跡を継いだ信長は「うつけ者」と呼ばれながらも、巧みな軍事行動で反対勢力を次々と制圧。1559年頃までに尾張国を再統一し、東海道から迫る巨大な脅威へと立ち向かう強固な地盤を整え、飛躍する準備を完了させたのです。

▼ この記事でわかること

  • 平氏を名乗った政治的な裏事情
  • 信秀が抱えた統治の致命的弱点
  • うつけ者が尾張を統一できた秘密

下剋上で成り上がった「織田家の出自」

斯波氏:室町幕府の有力者で、尾張国の守護職を務めたが、家臣である織田氏に実権を奪われた名門。
守護代:多忙な中央の守護に代わって、現地で領国の政治や軍事を実質的に取り仕切った代官職。
平氏:織田家が権威付けのために自称した家系。源氏の足利将軍家への対抗意識があったとされる。

尾張国を支配した織田家ですが、そのルーツは守護大名・斯波氏に仕える「守護代」という家臣の立場に過ぎませんでした。彼らは主家から現地の統治を任されていた実務官僚のような存在でしたが、戦国の世の混乱に乗じて主君の権威を徐々に蚕食し、最終的には実質的な支配権を完全に握り取る「下剋上」を見事に成し遂げていったのです。


興味深いことに、彼らは自らの正当性を高めるため、平清盛に連なる平氏の末裔だと称する系図を捏造したと言われています。これは源氏の血を引く足利将軍家への対抗心を示す政治的な演出でしたが、実態は尾張の土着勢力であり、国内では同族同士が覇権を巡って争う、血で血を洗うような分裂状態が続いていたのが現実でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

織田信長の家系は、最初から国主だったわけではなく、主君の斯波氏を追い落とした新興勢力でした。箔をつけるため「平氏」を名乗りましたが、実際には尾張国内でも同族争いが絶えない不安定な基盤の上にあり、一歩間違えば滅亡しかねない、非常に危ういスタート地点に立っていたのです。


古びた地図の上で、尾張国周辺を指し示す軍配。今川や斎藤といった強敵に囲まれた緊張感のある構図。


── では、信長の父・信秀はどのように領国を広げようとしたのでしょうか。

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近隣強豪との苦しい「抗争と外交」

織田信秀:信長の父。弾正忠家の当主として、商業都市の津島や熱田を押さえて勢力を拡大した。
今川氏:東海道の覇者として駿河・遠江を支配し、三河の松平氏を保護下に置いた織田家の宿敵。
斎藤道三:美濃国の戦国大名。油商人から身を起こしたとも言われ、信長との同盟により岳父となった。

信長の父・織田信秀傑出した武将であり、尾張国内を完全にまとめる前から積極的な対外戦争に打って出ました。南では三河の松平氏と衝突し、その背後に控える巨大な今川氏をも敵に回して戦い続けます。この過程で、後の徳川家康となる松平竹千代を強奪するという大胆な策も実行しましたが、決定的な勝利を得るまでには至りませんでした。


北の美濃国では、「マムシ」の異名を持つ斎藤道三との戦いが泥沼化していました。決着がつかない中、信秀は道三の娘・濃姫を信長に迎える政略結婚和睦を選びます。しかし、戦争に明け暮れるあまり、検地による税収把握や家臣団の統制といった地道な行政改革は後回しにされ、不安定な統治基盤がそのまま次代へ残されたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

父・織田信秀「攻め」には滅法強かったものの、「守り」「国づくり」苦手なタイプでした。今川氏斎藤道三といった近隣の強豪と渡り合いましたが、国内の支配体制が固まりきらないまま急死してしまい、若き信長に対して、内憂外患の複雑で重い課題を、解決策もないまま引き継ぐことになってしまったのです。

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若き日の信長のシルエット。髪は乱れ、行儀悪く座っているが、その目は鋭く遠くを見据えている。


── では、跡を継いだ信長は、この危機をどう乗り越えたのでしょうか。

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うつけ者が成し遂げた「尾張再統一」

うつけ者:若き日の信長の呼び名。奇抜な服装や粗野な振る舞いから、当主の器ではないと侮られた。
平手政秀:信長の教育係を務めた重臣。奇行の目立つ信長を諫めるため、自刃して抗議したとされる。
那古野城:信長が初期に居城とした城。ここを拠点に、敵対する一族を次々と撃破し勢力を広げた。

1551年、17歳で家督を継いだ信長は、父の葬儀で抹香を投げつけるなどの奇行を繰り返し、周囲から「うつけ者」嘲笑されました。これを憂いた重臣・平手政秀が死をもって諫めるという悲劇も起きています。しかし、この狂気じみた振る舞いは、周囲の油断を誘うための計算された演技であり、その裏で彼は着実に力を蓄えていたのです。


拠点の那古野城から動き出した信長は、父の代から続く親族間の骨肉の争いに終止符を打つべく、果敢な軍事行動を開始します。彼は反抗的な一族や敵対勢力を次々と撃破し、1559年頃までに尾張国の再統一をほぼ完了させました。これは、東海道を経て上洛を狙う今川義元の侵攻が始まる直前の、まさにギリギリのタイミングでの偉業でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

信長はただの変人ではありませんでした。重臣の死という深い痛みを糧にしながら、分裂していた尾張国を強力なリーダーシップでまとめ上げました。周囲が彼を侮っている間に、彼は来るべき巨大な敵との決戦に備え、自らの足元を盤石に固め終わっていたのです。これは計算された狂気による勝利でした。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:信長の飛躍と尾張の団結

織田氏は尾張の守護代という立場から、下剋上で実権を握った新興勢力でした。父・信秀の代では対外戦争に追われ、国内の基盤は盤石ではありませんでしたが、若き信長がその課題を引き継ぎます。彼は「うつけ」の評判を覆す軍事行動で国内を平定し、来るべき今川氏との決戦に備えたのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

守護代から実権を奪う下剋上
父信秀の対外戦争と行政の停滞
うつけ信長による尾張国の再統一

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.平手政秀はなぜ自害したのですか?

信秀の葬儀での無礼な振る舞いなど、主君としてふさわしくない信長の奇行を諫めるため、自らの命を絶って抗議したと伝えられています。

Q2.織田家が平氏を名乗ったのは本当ですか?

系図上は平清盛の子孫とされていますが、これは家柄の権威を高め、源氏である将軍家に対抗するための政治的な創作である可能性が高いです。

Q3.なぜ尾張の統一が重要だったのですか?

尾張は関東と京都を結ぶ交通の要衝でした。背後の憂いを断ち、一枚岩にならなければ、強大な今川氏の侵攻を防ぐことは不可能だったからです。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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