薩英戦争と下関戦争!攘夷の限界と薩長の選択|5分de探究#087

江戸時代
薩英戦争と下関戦争!攘夷の限界と薩長の選択|5分de探究#087
攘夷を叫んで西洋と戦った薩摩と長州は、なぜ開国へ舵を切ったのでしょうか?


敗北から生まれた痛切な決断と、そこから明治維新へと繋がっていく激動の歴史的転換点を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 薩英戦争と下関戦争が、日本に与えた決定的な影響とは?


西洋との圧倒的な火力差に敗北し、攘夷の不可能を悟ったことで、倒幕と開国へ向かう決定的な契機となりました。

1864年、下関と薩摩で勃発した西洋列強との武力衝突は、日本に「攘夷」物理的な不可能性を決定づけました。下関戦争での長州の敗北、生麦事件を発端とする薩英戦争での薩摩の苦戦は、圧倒的な軍事力差を痛感させる結果となります。

さらに長州は禁門の変で敗れ、幕府軍による第一次長州征伐で壊滅的打撃を受けました。しかし、伊藤博文らの英国留学や高杉晋作の潜伏など、攘夷から倒幕へ、そして開国へと向かう歴史的転換点が、この激動の中に隠されていたのです。

📚お読みになる前に📚

薩英と下関!攘夷決行の果てにある「現実」

下関戦争:長州藩が四国連合艦隊に惨敗し、砲台占拠と破壊により攘夷の不能を悟った武力衝突。
生麦事件:薩摩藩士が行列を乱した英国人を殺傷し、後の薩英戦争の直接的な原因となった事件。
薩英戦争:生麦事件の報復として英国艦隊が鹿児島へ侵攻し、城下町の大半が焼失した激しい戦闘。

「外国人を追い払え」という威勢の良い掛け声は、圧倒的な火力の前に沈黙しました。下関戦争で長州藩の砲台は徹底的に破壊され、上陸したフランス軍に記念撮影までされる始末でした。これは尊王攘夷派が夢見た勝利ではなく、西洋との真っ向勝負が壊滅的な敗北しか生まないことを証明する、あまりに過酷で残酷な現実だったのです。


一方、尊王攘夷の急先鋒ではなかった薩摩藩も、苦い経験を強いられます。藩士が英国人を斬った生麦事件の賠償を巡って英国艦隊と衝突し、薩英戦争が勃発しました。鹿児島市街の半分が焼失する甚大な被害を受け、彼らは身をもって「攘夷」の物理的な不可能性を学び、単なる精神論では国を守れないことを痛感させられたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

長州も薩摩も、実際に西洋の軍隊と戦ってみて初めて、自分たちの装備がいかに旧式で通用しないかを思い知らされました。この完敗体験こそが、盲目的な外国人排斥論から脱却し、西洋技術を積極的に導入するための冷静な戦力分析へと意識が大きく変わる重要なきっかけとなったのです。


燃え上がる京都の町と戦う武士たち


── では、この混乱の中で国内政治はどう動いたのか見てみましょう。

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京都での敗北!禁門の変と長州藩の「凋落」

禁門の変:長州藩が勢力挽回を期して京都へ進軍し、御所周辺で幕府側と激突して敗北した市街戦。
松平容保:京都守護職として市中の治安維持を担い、禁門の変で長州勢を完膚なきまでに撃退した会津藩主。
第一次長州征伐:禁門の変の責任を問うため、幕府が長州へ諸藩の軍勢を派遣し、戦わずして降伏させた征討。

対外戦争での敗北に続き、長州藩は国内でも窮地に立たされます。天皇を奪還して政局を覆そうと京都へ攻め上った禁門の変は、松平容保率いる会津藩や薩摩藩の猛反撃により失敗に終わりました。御所に向けて発砲したことで長州は「朝敵」とみなされ、京都市街の広範囲を焼き尽くす大火災を引き起こしてしまう結果となったのです。


幕府はこの機を逃さず、第一次長州征伐の号令をかけました。西日本の諸藩を動員した圧倒的な兵力を前に、長州藩政府は戦わずして降伏を選択せざるを得ませんでした。責任者の切腹や処刑が行われ、尊王攘夷運動は完全に鎮圧されたかに見え、過激な志士たちは一掃され、藩内は幕府に従順な保守派が主導権を握ることになります。

🔍 つまりどういうこと?🔍

無謀なクーデター計画は失敗し、長州藩は内外から徹底的に叩きのめされました。これにより、感情的な「尊王攘夷」を叫ぶだけの勢力は壊滅し、運動は一時的に消滅したように見えましたが、それは過激な思想が淘汰され、次なる段階へと進化するための不可欠な準備期間でもあったのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


英国へ向かう船上の長州ファイブ


── では、彼らがどのように復活の種をまいたのか確認しましょう。

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復活への種まき!長州五傑と高杉の「決断」

長州ファイブ:国禁を犯して英国へ密航し、圧倒的な文明を学び日本の近代化に貢献した五人の傑物。
吉田松陰:密航未遂で処刑されたが、その過激な思想と行動力が多くの志士に継承された精神的支柱。
高杉晋作:藩の恭順姿勢に反発して挙兵し、長州藩の主導権を保守派から奪い返すことになる風雲児。

敗北は終わりではありませんでした。かつて吉田松陰に学んだ若者たちは、敵である西洋から学ぶ道を選びます。伊藤博文や井上馨ら長州ファイブは、死罪覚悟で英国へ密航しました。ロンドンで目の当たりにした圧倒的な技術力と文明の差を日本に持ち帰り、「攘夷」ではなく「開国・富国強兵」こそが生き残る道だと悟ったのです。


一方、国内に残った高杉晋作も諦めてはいませんでした。幕府に屈服した藩の姿勢に納得せず、仲間と共に山間部へ潜伏します。彼は後にわずかな兵を率いて決起し、保守派から再び藩の実権を奪取することになります。この潜伏期間こそが、来るべき倒幕戦争へ向けた、静かですが確実なエネルギーの充填期間となっていたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

全ての攘夷派が死に絶えたわけではありません。一部の生存者は「勝てないなら学べ」と柔軟に方針転換し、あるいは地下に潜って再起を誓いました。この現実主義への転換と、あきらめない不屈の精神こそが、後の明治維新という大事業を成功させるための重要な鍵となります。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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第二次長州征伐の失敗!幕府崩壊確定と薩長同盟|5分de探究#088
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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:攘夷の失敗から学ぶ生存への「転換」

1864年は、観念的な攘夷論物理的な敗北によって否定された年でした。しかし、この手痛い失敗があったからこそ、薩摩も長州も西洋技術の受容という現実的な路線へ舵を切ることができたのです。失敗を認めて方針を修正する柔軟さこそが、次なる時代を切り拓く力となりました。
この記事のポイントは、以下の3つです。

薩英・下関戦争による攘夷の物理的な限界
禁門の変と長州征伐による急進派の挫折
長州五傑に見る西洋技術受容への転換

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.攘夷(外国排斥)はいつ頃から倒幕へ変わったのですか?

1863年の薩英戦争、64年の下関戦争での敗北が大きな契機です。西洋の軍事力を痛感し、幕府を倒して新しい国を作る方針へ徐々にシフトしました。

Q2.薩摩藩と長州藩の立場の違いは何でしたか?

長州は思想的な「尊王攘夷」を掲げましたが、薩摩はより現実的で、関ヶ原以来の反徳川感情を背景に、公武合体などを模索しつつ実力を蓄えました。

Q3.なぜ長州ファイブは敵国であるイギリスへ留学したのですか?

「敵を知り、その技術を取り入れることこそが真の攘夷(独立維持)につながる」と考えたからです。彼らの柔軟性が、後の明治政府を支えました。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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