実は平安時代の人々も、土地を有力者に贈るという驚きの裏技で税逃れをしていました。現代にも通じる、当時のしたたかな生存戦略を解説します。
平安時代、重い税から逃れるために流行したのが、土地を有力者に贈る寄進という手法でした。地方の地主は、寺社や藤原氏などの権門に名義を貸すことで、国司の徴税を拒否できる荘園としての特権を手に入れます。
これは実質的な脱税行為であり、国家財政を著しく圧迫しました。後三条天皇などが整理令を出して対抗しますが、既得権益を守ろうとする貴族や寺社とのいたちごっこが続き、公領と荘園をめぐる争奪戦は激化していきました。この混乱が、やがて律令国家の終焉を招くのです。
▼ この記事でわかること
- 寺社を利用した驚きの節税術の正体
- 権利関係が複雑怪奇になった理由
- 皇の改革天が骨抜きにされた裏話
不輸の権を手に入れるための「脱税」
地方の地主たちにとって、国司による厳しい税の取り立ては死活問題でした。そこで彼らが目をつけたのが、税を免除されている有力な寺社です。自分の土地を寺社に寄進して名義上の持ち主になってもらい、代わりに一定の賃料を払うのです。寺社という強力な後ろ盾を得ることで、彼らは国司からの徴税を拒否できる不輸の権という特権を手に入れました。
これは現代で言えば、タックスヘイブンに資産を移すようなものです。寺社へ払う賃料が税金より安ければ、地主は確実に得をします。当時の役所は火災で書類が失われることも多く、記録管理が杜撰だったこともこの不正を助長しました。こうして書類上の荘園ばかりが増え、真面目に税を集めようとする国司だけが泣きを見る状況が生まれたのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
国へ真面目に税金を払うよりも、お寺に手数料を払って神様の土地という看板を借りたほうが安上がりで安全だった、ということです。これは土地を守りたい地主と、収入を増やしたいお寺の双方にとってメリットがある、まさにWin-Winの賢い裏取引でした。この利害の一致が、国の財政を徐々に蝕んでいったのです。
── では、この仕組みをさらに洗練させた「あの一族」のやり方を見てみましょう。
権力者を利用した権利の「連鎖」
このシステムを最大限利用したのが、藤原氏などの権門勢家です。有名な鹿子木荘の例を見てみましょう。元々の開発者は、自分たちだけで土地を守ることに限界を感じ、藤原実政という貴族に土地を寄進しました。こうして権力者の名前を借りることで成立したのが寄進地系荘園です。しかし、人間の欲望は深く、話はここで終わりません。
実政の子孫の力が衰えると、彼らはさらに皇族の嘉陽門院へ、そして最終的には仁和寺へと寄進を重ねました。荘園の権利はミルフィーユのように重層化し、上位の本家や中間の領家が収益の一部を吸い上げる構造が出来上がったのです。藤原氏はこの仕組みを使い、違法スレスレで公領を侵食し、一族で莫大な富を蓄えていきました。
🔍 つまりどういうこと?🔍
より強いボディーガードを雇うように、地主たちは次々と有力者へ名義を変更したり追加したりしていきました。その結果、一つの土地に対して何人もの持ち主が重なり合い、誰が本当の支配者なのかわからないほど複雑な権利関係が生まれてしまったのです。この複雑さが、外部からの介入を拒む強固な壁となりました。
💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。
── では、荒れ放題の土地制度にメスを入れた天皇の取り組みを見てみましょう。
整理令で挑んだ天皇による「抵抗」
藤原氏の権勢により、荘園の増加は止まりませんでした。これに待ったをかけたのが、藤原氏に遠慮する必要がなかった後三条天皇です。彼は延久の荘園整理令を発布し、新設された記録荘園券契所で土地の証拠書類を徹底的にチェックさせました。書類不備や新しい荘園は没収するという、過去もっとも本気度の高い改革に乗り出したのです。
しかし、既得権益の壁は厚いものでした。荘園領主たちはのらりくらりと対応を引き延ばし、天皇が崩御すると改革の勢いは失速します。結局、後の皇族たちも勝てないなら仲間になれとばかりに、自らが荘園を持つ道を選びます。こうして一一〇〇年代後半には、国の農地の半分近くが荘園となり、三つ巴の土地争奪戦が定着したのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
国家プロジェクトとして不正を正そうとしましたが、相手があまりに強大で、かつ誰もが儲かる仕組みだったため、完全には止められませんでした。最終的には改革を目指したはずの天皇自身も、このシステムを利用するプレイヤーの一人になってしまったのです。理想よりも現実の利益が勝った、皮肉な結末となりました。
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── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:公領と荘園の激しい「争奪戦」
今回見てきたように、平安時代の土地制度は、理想的な公地公民から大きく逸脱し、個人の利益を優先する複雑なパズルとなっていました。地主、国司、そして貴族や寺社。それぞれの思惑が絡み合い、日本の土地支配は公的なものから私的なものへと変質していったのです。この流れは、後の武士の台頭へとつながる重要な転換点でした。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣寄進は現代の節税対策に通じる契約
‣権威の連鎖で守られた鹿子木荘
‣整理令も及ばぬ既得権益の壁
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.なぜ政府は違法な荘園を止められなかったのですか?
藤原氏などの有力者がバックについており、政治的に手が出せなかったからです。無理に介入すれば国司自身の立場が危うくなるため、黙認され続けました。
Q2.「墾田」と「荘園」は何が違うのですか?
墾田は「新しく開墾した土地」そのものを指し、荘園はその土地が持つ「法的ステータス(私有地・免税地)」を指します。多くの場合、墾田が荘園化しました。
Q3.この時代から現代の私たちが学べることは?
どんな制度にも必ず「抜け道」を探す人が現れるということです。人は理念よりも、目の前の経済的合理性(得か損か)で動くという本質が見えてきます。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
🖋この記事を書いた人🖋
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

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