実は悪役とされる蘇我氏こそが、改革の先駆者だったかもしれません。点と線がつながり、日本の成り立ちがスッキリわかる歴史探究へようこそ。
特に持統天皇は、都を藤原京に固定し、「天皇」という称号を正式化し、神話を用いて皇位の正統性を確立しました。この一連の流れが、日本という古代国家の骨格を作り上げたのです。
▼ この記事でわかること
- 悪役・蘇我氏が始めた改革の正体
- 壬申の乱が招いた最強の国作り
- 天皇が神になった切実な裏事情
大化の改新は本当に転換点だった?
「645年、大化の改新で日本が変わった」。学校ではそう習いますが、実はこれ、少し単純化されすぎた物語かもしれません。私たちは「蘇我氏は悪役で、彼らを倒したから正しい政治が始まった」と考えがちです。しかし、この見方だと「なぜ悪役の蘇我氏の時代に、すでに高度な法や制度が生まれていたのか?」という矛盾に突き当たります。
近年の研究では、この時代を「長い改革の一世紀」として見る動きがあります。実は、中央集権的な改革の多くは、蘇我氏が権力を握っていた時期にスタートしていました。例えば、官僚の能力を評価する「冠位十二階」や、統治哲学を示した「十七条憲法」です。これらは、645年のクーデター以前に、既に存在していました。
🔍 つまりどういうこと?🔍
歴史の流れは、連続的なものです。大化の改新という「点」だけで歴史を見るのではなく、約100年続く「線」として改革を捉え直す視点が必要です。蘇我氏もまた、単なる悪役ではなく、国を強くしようとした改革者の一部であり、その努力はその後の統治者たちに引き継がれていきました。
── では、その改革の流れの中で起きた最大の内乱について見てみましょう。
壬申の乱は国家のあり方をどう変えた?


改革が進む一方で、権力の移行はスムーズではありませんでした。672年、天智天皇の死をきっかけに、骨肉の争いである「壬申の乱」が勃発します。これは、かつての蘇我・物部戦争の構図とよく似ており、対立する派閥がそれぞれの皇位継承者を担ぎ上げました。しかし、この内乱の結果が皮肉にも、より強力な中央集権国家を生み出す原動力となります。
勝利した天武天皇は、この経験から「二度と誰にも皇位を脅かせない仕組み」を作る必要性を痛感しました。ライバルになりうる有力氏族を抑え込み、天皇の権力を絶対的なものにする。そのための改革が加速し、その後の奈良時代へと続く安定した統治基盤が整えられていったのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
壬申の乱は単なるお家騒動ではなく、天皇の権力を絶対化するための決定的なきっかけでした。勝者である天武天皇は、この勝利を背景に、誰も逆らえない強力なトップダウン型の政治体制を完成させたのです。皇位継承システムが原因の内戦があったからこそ、逆説的にシステムは強固になったのです。
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── では、その絶対的な権力はどのように「演出」されたのでしょうか。
なぜ天皇は「神」として君臨するようになった?
天武天皇の意志を継いだ持統天皇の時代、日本のカタチが大きく変わります。まず、「移動する宮廷」からの脱却です。それまでは天皇が代わるたびに宮殿を移転していましたが、巨大化する官僚組織を維持するため、初めて恒久的な首都「藤原京」が建設されました。定住することで、安定的で大規模な行政が可能になったのです。
さらに重要なのが、支配の正当性の変化です。かつては儒教的な「徳」が重視されましたが、天武・持統期には「血統の神聖さ」が強調され始めました。自らを「現人神」と呼び「天皇」という称号を公式化。さらに『古事記』編纂を命じ、皇室を神々の子孫と位置づけました。こうして、「政治的な強者」から「宗教的な絶対者」へと、天皇のイメージを書き換えることに成功したのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
持統天皇は、ハード面では「都の固定」、ソフト面では「神話による権威付け」を行い、天皇を中心とする揺るぎないシステムを完成させました。これにより日本は、中国モデルを取り入れつつも独自の統治スタイルを確立したのです。
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── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:飛鳥時代とは「日本」の基礎が固まった時
飛鳥時代の歴史は、単なる権力争いの記録ではありません。それは、古代日本がどのようにして「国家」としての形を整え、統治システムを構築していったかという壮大なプロセスの物語です。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣改革は一瞬ではなく約1世紀続いた
‣皮肉にも権力争いで中央集権化加速
‣天皇神格化は政治的安定のためだった
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.飛鳥時代までなぜ、都は頻繁に移動していたのですか?
「穢れ」を避ける宗教的なタブーや、地方豪族への政治的配慮、あるいは防衛上の理由など、複数の要因があったと考えられています。
Q2.蘇我氏は、本当に大化の改新を邪魔する悪者だったのですか?
いいえ、最近の研究では、蘇我氏こそが最初の改革推進者だったと見直されています。政策の多くはその後の政権に引き継がれました。
Q3.この時代の歴史から、私たちは何を学べますか?
歴史的な変化は「ある日突然」起きるのではなく、長い時間をかけて連続的に進むものであるという視点の大切さを学べます。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
[この記事を書いた人]
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。👇noteではこんな話をしてます(目次)👇
悪役の蘇我氏は本当に悪だったのか?骨肉の争いが国を強くした理由は?
なぜ都はコロコロ変わっていたのか?
天皇が「神」になった瞬間とは?
まとめ:激動の改革が生んだ「日本」
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