飛鳥時代の改革と壬申の乱!蘇我氏から天皇誕生|5分de探究#012

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飛鳥時代の改革と壬申の乱!蘇我氏から天皇誕生|5分で探究#012
「大化の改新」だけで日本が変わったと思っていませんか?


悪役の蘇我氏が改革の先駆者であり、壬申の乱が天皇を神にしました。古代日本の成り立ちを”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 飛鳥時代の改革と壬申の乱。蘇我氏から天皇誕生の流れとは?


蘇我氏が改革を始め、壬申の乱を経て天武天皇が即位。天皇を中心とする中央集権国家が完成しました。
飛鳥時代の歴史は、単なる「大化の改新」という一点の出来事ではなく、約100年にわたる長い改革のプロセスでした。蘇我氏の時代からすでに中央集権化への動きは始まっており、672年の壬申の乱を経て、天武・持統天皇の時代に決定的な変化を迎えます。

特に持統天皇は、都を藤原京に固定し、「天皇」という称号を正式化し、神話を用いて皇位の正統性を確立しました。この一連の流れが、日本という古代国家の骨格を作り上げたのです。

大化の改新は本当に転換点か

飛鳥時代:飛鳥に都が置かれ、大陸の影響で仏教文化が栄えた592年からの約100年を指す時代。
蘇我氏:飛鳥時代の有力な豪族。大和朝廷で政治の実権を握り、仏教受容や改革を強く推進した。
十七条憲法:聖徳太子が制定したとされる、役人の心構えや仏教の精神を説いた日本初の成文法。

645年、大化の改新で日本が変わった」。学校ではそう習いますが、実はこれ、少し単純化されすぎた物語かもしれません。私たちは「蘇我氏は悪役で、彼らを倒したから正しい政治が始まった」と考えがちです。

しかし、この見方だと「なぜ悪役の蘇我氏の時代に、すでに高度な法や制度が生まれていたのか?」という矛盾に突き当たります。




近年の研究では、この時代を「長い改革の一世紀」として見る動きがあります。実は、中央集権的な改革の多くは、蘇我氏が権力を握っていた時期にスタートしていました。

例えば、官僚の能力を評価する冠位十二階や、統治哲学を示した十七条憲法です。これらは、645年のクーデター以前に、既に存在していました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

大化の改新という『』だけで歴史を見るのではなく、約100年間続く『』として国家の改革を捉え直す視点が必要です。蘇我氏も単なる悪役ではなく国を強くしようとした改革の先駆者であり、彼らが構築した政治基盤は、その後の統治者たちへ引き継がれ日本国家の礎となりました。


飛鳥時代の宮廷で役人たちが十七条憲法を読んでいる様子。背景には当時の建築様式の建物がある。


── では、その改革の流れの中で起きた最大の内乱について見てみましょう。

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壬申の乱は国家をどう変えたか

天智天皇:中大兄皇子として乙巳の変を主導し、中央集権国家の構築を強力に進めた第38代天皇。
壬申の乱:天智天皇の死後、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が皇位継承を巡り争った内戦。
天武天皇:壬申の乱で勝利した大海人皇子が即位し、天皇を中心とする中央集権体制を確立した。

改革が進む一方で、権力の移行はスムーズではありませんでした。672年、天智天皇の死をきっかけに、骨肉の争いである「壬申の乱」が勃発します。

これは、かつての蘇我・物部戦争の構図とよく似ており、対立する派閥がそれぞれの皇位継承者を担ぎ上げました。しかし、この内乱の結果が皮肉にも、より強力な中央集権国家を生み出す原動力となります。




勝利した天武天皇は、この経験から「二度と誰にも皇位を脅かせない仕組み」を作る必要性を痛感しました。ライバルになりうる有力氏族を抑え込み、天皇の権力を絶対的なものにする。

そのための改革が加速し、その後の奈良時代へと続く安定した統治基盤が整えられていったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

壬申の乱は単なるお家騒動ではなく、天皇の権力を絶対化する契機でした。勝者の天武天皇はこの勝利を背景に、誰も逆らえない強力なトップダウン型の政治体制を完成させます。激しい内戦があったからこそ、逆説的に日本の国家システムは強固なものへと生まれ変わったのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


壬申の乱で軍を指揮する天武天皇(大海人皇子)の勇ましい姿。古代日本の鎧を身につけている。


── では、その絶対的な権力はどのように「演出」されたのでしょうか。

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天皇はなぜ神として君臨したか

藤原京:恒久的な首都として機能した本都。持統天皇が造営し、碁盤の目状の条坊制を備えた。
天皇(称号):中国皇帝と対等な外交を行うため、大王に代わり正式に採用された日本独自の称号。
現人神(あらひとがみ)人間の姿で現れた神。天皇が神の子孫として国を治める根拠とされた概念。

天武天皇の意志を継いだ持統天皇の時代、日本のカタチが大きく変わります。まず、「移動する宮廷」からの脱却です。

それまでは天皇が代わるたびに宮殿を移転していましたが、巨大化する官僚組織を維持するため、初めて恒久的な首都「藤原京」が建設されました。定住することで、安定的で大規模な行政が可能になったのです。




さらに重要なのが、支配の正当性の変化です。かつては儒教的な「」が重視されましたが、天武・持統期には血統の神聖さが強調され始めました。自らを「現人神」と呼び「天皇」という称号を公式化。

さらに『古事記』編纂を命じ、皇室を神々の子孫と位置づけました。こうして、政治的な強者から宗教的な絶対者へと、天皇のイメージを書き換えることに成功したのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

持統天皇は、ハード面では「恒久的な都の固定」、ソフト面では「神話による絶対的な権威付け」を推し進め、天皇を中心とする揺るぎない支配システムを完成させました。これにより日本は、中国モデルを巧みに取り入れつつも、独自の統治スタイルを築き上げることに成功したのです。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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結:飛鳥時代と日本の基礎確立

飛鳥時代の歴史は、単なる権力争いの記録ではありません。それは、古代日本がどのようにして国家」としての形を整え、統治システムを構築していったかという壮大なプロセスの物語です。
この記事のポイントは、以下の3つです。

改革は一瞬ではなく約1世紀続いた
皮肉にも権力争いで中央集権化加速
天皇神格化は政治的安定のためだった

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

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❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.飛鳥時代までなぜ、都は頻繁に移動していたのですか?

「穢れ」を避ける宗教的なタブーや、地方豪族への政治的配慮、あるいは防衛上の理由など、複数の要因があったと考えられています。

Q2.蘇我氏は、本当に大化の改新を邪魔する悪者だったのですか?

いいえ、最近の研究では、蘇我氏こそが最初の改革推進者だったと見直されています。政策の多くはその後の政権に引き継がれました。

Q3.この時代の歴史から、私たちは何を学べますか?

歴史的な変化は「ある日突然」起きるのではなく、長い時間をかけて連続的に進むものであるという視点の大切さを学べます。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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