▼ この記事でわかること
一方で、政治の実権を握ろうとしたのが藤原不比等をはじめとする藤原氏でした。彼らは皇室との婚姻関係を深め、ライバルである長屋王を排除し、民衆に影響力を持つ僧侶・行基さえも利用します。この記事では、藤原氏による政権掌握のリアルな歴史を紐解きます。
なぜ平城京へ遷都したのか?
政治の中心地である「都」は、単に人が住む場所ではありませんでした。当時の政権にとって、都は権威そのものを視覚化する装置だったのです。
持統天皇の時代に完成した藤原京は、中国の長安をモデルにした画期的な都市でした。南北に走る道路をきれいに整備し、北側に宮殿を配置する構造は、まさに天子南面の思想を具現化したものです。
しかし、藤原京は数十年で放棄され、さらに北の地へ新しい都が作られます。それが「平和な城塞の都」、平城京です。同様に長安を模倣し、人口は20万人規模にまで膨れ上がりました。
道路の一部は藤原京から引き継がれつつも、東大寺のような巨大寺院を抱えるこの新都は、天皇の力が以前よりも増していることを象徴する舞台装置として機能したのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
持統天皇らが長安を模倣して建設した藤原京は、「天皇こそが世界の中心」と国内外へ示す巨大なデモンストレーションでした。さらにその後の平城京への遷都は単なる引っ越しではなく、天皇の支配力と宗教的権威をより強力に見せつけるための、国家的なアップデートだったのです。
── では、この壮大な都で誰が実権を握っていったのかを見てみましょう。
藤原氏はどう皇室に入り込んだか
平城京の建設が進む裏で、政治の中枢では激しい権力闘争が起きていました。その中心にいたのが藤原不比等です。彼は父・鎌足の功績を背景に、娘を文武天皇の妃として送り込みました。
文武天皇と不比等の娘との間に生まれたのが首皇子(のちの聖武天皇)です。文武天皇が若くして謎の死を遂げた際、不比等が暗躍したのではないかと疑う声さえあるほど、彼の影響力は絶大でした。
一方で、皇族出身の長屋王は藤原氏の専横をよしとしませんでした。不比等の死後、政権トップの長屋王は藤原氏の介入を牽制しました。
これに対し、不比等の息子ら(藤原四兄弟)は「長屋王が国を転覆させようとしている」という無実の罪をでっち上げ、軍隊で彼の屋敷を包囲します。長屋王は自害し、一家は滅亡しました(長屋王の変)。
🔍 つまりどういうこと?🔍
藤原氏は娘を嫁がせて「天皇の親戚」という確固たるポジションを手に入れ、権力を握ろうとしました。その際、邪魔になる有力な皇族や政治家は陰謀や武力を用いて容赦なく排除しています。長屋王の悲劇は、藤原氏が政権を独占するために行った強引な粛清の最たる例と言えます。
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── では、彼らが「宗教」とどう向き合ったのかを確認しましょう。
仏教はなぜ政治利用されたのか?
貴族たちの権力争いとは無縁の場所で、民衆の心をつかんでいた人物がいました。僧侶の行基です。
行基による「善いことをすれば救われる」という因果応報の教えは人々を惹きつけ、ある時、農民たちが仕事を放り出して行基についていく事態が発生します。これは政府の税収を減らす行為であるため、僧尼令違反として彼を弾圧しました。
しかし、行基の人気は衰えるどころか、数万人規模に膨れ上がります。ここで藤原氏は方針を180度転換しました。「弾圧するより利用したほうが得策だ」と考えたのです。
彼らは行基の活動を認め、その絶大な動員力を巨大寺院建設などの国家プロジェクトに向けさせました。このしたたかさこそが、彼らが生き残った要因とも言えるでしょう。
🔍 つまりどういうこと?🔍
政府は当初、民衆を動かす人気者の行基を危険視して活動を禁じました。しかし彼の影響力が無視できなくなると、逆に抱き込み利用する道を選びます。かつて仏教推進派の蘇我氏を倒した藤原氏が、今度は自らの権力基盤を固めるべく、民衆に支持される仏教勢力を巧みに取り込んだのです。
── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。
── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
結:平城京は権力闘争の舞台
藤原京から平城京への流れは、単なる都市開発の歴史ではありません。それは、天皇の権威確立と、藤原氏による執念深い権力掌握のプロセスそのものでした。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣平城京は天皇の権威を示す装置
‣藤原氏は婚姻と粛清で権力握った
‣行基の力さえも政治的に利用された
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.藤原不比等は、具体的にどのような地位につきましたか?
彼は右大臣に就き、娘を天皇に嫁がせることで皇室の外戚としての地位を確立しました。これにより藤原氏繁栄の基礎を築きました。
Q2.長屋王の変は、本当に長屋王が謀反を企てたのですか?
研究では、長屋王は無実だった可能性が高いとされています。藤原氏が政敵を排除するために仕組んだ冤罪事件という見方が有力です。
Q3.行基はなぜ、国家から弾圧されたり称賛されたりしたのですか?
彼の動員力が脅威だったからです。敵に回れば恐ろしい存在ですが、味方にすれば巨大工事を可能にできる労働力源になり得たためです。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

















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