律令国家の完成!天武・持統天皇の描く日本の形|5分de探究#013

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律令国家の完成!天武・持統天皇の描く日本の形|5分で探究#013
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日本の『形』はいつ、誰が決めたの?
難しそうな律令国家も、現代に続く「最強のシステム」でした。この記事では、この国の最強OSが誕生した瞬間をサクッと学び直せます。
8世紀の日本は、国家としての骨組みが決まる極めて重要な時期でした。6世紀から続く豪族間の争いや対外的な緊張を経て、天武天皇と持統天皇は、天皇に権力を集中させる改革を断行します。

彼らは「太政大臣」などの新設ポストで行政を掌握し、伊勢神宮の格上げや仏教の国家保護を通じて宗教的権威も強化しました。さらに「律令制度」を整え、二官八省の行政機構や地方区分を確立。こうして作られたシステムは、形を変えながら明治維新まで日本の基盤として機能し続けることになります。

▼ この記事でわかること

  • 天武天皇が仕掛けた独裁システム
  • 神仏を利用した皇室ブランディング
  • 明治まで続いた最強統治OSの全貌
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前回のお話はこちら!

飛鳥時代の改革と壬申の乱!蘇我氏から天皇誕生|5分de探究#012
「大化の改新」で日本が変わったと思っていませんか? 実は悪役とされる蘇我氏こそが、改革の先駆者だったかもしれません。点と線がつながり、日本の成り立ちがスッキリわかる歴史探究へようこそ。

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争い後、天皇中心の国をどう創った?

壬申の乱:天武天皇が甥を倒して皇位を奪取した、古代最大の内戦。
太政大臣:天皇の親族や側近のみが就任できた、最高位の行政職。
納言:大臣を牽制し、天皇の意思を直接伝える秘書官的な役職。

「歴史は繰り返す」と言いますが、8世紀の日本もまさに激動の渦中にありました。国家の舵取りは困難を極め、権力争いは壬申の乱にまで発展します。この戦いに勝利した天武天皇とその妻・持統天皇にとって、最大の課題は「二度と同じ争いを起こさないこと」でした。そこで彼らは、天皇自身が強力なリーダーシップを発揮できる体制づくりへと乗り出します。


具体的には、豪族が独占していた大臣職の上に、新たに太政大臣というポストを設け、そこに信頼できる身内を据えました。さらに、天皇の言葉を直接伝える納言という役職を強化し、既存の左大臣や右大臣が勝手な振る舞いをしないよう監視させたのです。こうして、不安定だった日本の政治は急速に中央集権化していきました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

かつての日本は有力な豪族たちが幅を利かせ、皇位継承すら不安定でした。そこで天武天皇らは、豪族を監視・管理する新しい役職を作り、天皇の親族や側近に権限を集中させました。現代で言えば、社長が派閥争いをする重役たちの上に、直属の執行役員チームを置いて実権を握るようなものでしょうか。


宮廷で新しい役職に任命される貴族たちの様子


── では、政治的な支配の次に、精神的な支柱をどう固めたのか見てみましょう。

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神と仏の力で皇室の権威をどう高めた?

現人神:天皇を「生き神」として扱い、神聖な権威づける称号。
斎王:伊勢神宮に派遣され、天皇の代わりに神に仕えた皇族女性。
大官大寺:天武天皇が発願し、国家が直接運営に関与した官立寺院。

政治的な仕組みだけでは、人々の心を真に支配することはできません。そこで重要になったのが「宗教的な正当性」です。天武天皇は自らを現人神と位置づけ、皇室の祖先神を祀る伊勢神宮を神社の最高位に格上げしました。さらに、自身の血を引く皇族女性を斎王として伊勢へ送り込み、皇室と神との特別な結びつきを視覚化したのです。


また、彼らは仏教への関わり方も変えました。天武天皇は国家プロジェクトとして寺院を運営し始めます。その象徴が大官大寺です。ここでは僧侶が国家から給与をもらう代わりに、国家と天皇のために祈ることが義務付けられました。精神的な救済さえも「外注」するのではなく、国家が管理することで、天皇の権威は神仏の両面から盤石なものとなったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

権力を安定させるため、皇室は「宗教」を巧みに利用しました。神道では伊勢神宮を特別視して自らを神格化し、仏教では寺院を国家管理下に置いて天皇のために祈らせました。「天皇はただの政治リーダーではなく、神聖な存在である」というブランド化を徹底したわけです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


壮大な寺院の建設現場と、それを見守る天皇のイメージ


── では、最後にこれらを支える「法律と組織」について確認しましょう。

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法律と組織で固めた国家の骨組み

律令制度:刑法(律)と行政法(令)に基づき国を統治するシステム。
太政官:国政全般を司る最高行政機関。現在の内閣に近い役割。
神祇官:太政官と並び置かれた、神道の祭祀や宗教行事を司る機関。

天武・持統天皇の治世における最大の功績は、法体系の整備でした。それが、中国の唐に倣った律令制度の導入です。これは、刑罰や行政手続きを明文化し、個人の恣意的な判断ではなく「ルール」で国を動かす画期的な転換でした。このシステムの下、政府は大きく二つに分けられます。一つは政治を行う太政官、もう一つは祭祀を行う神祇官です。


太政官の下には八つの省庁が置かれ、徴税から軍事までを分担管理しました。驚くべきは、この時に作られた行政の基本パターンが、形を変えながらも明治維新までの約1000年間、日本の公式な制度として生き続けたことです。私たちが歴史の授業で習う「古代国家」の完成形は、まさにこの時代にデザインされたものだったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

天武天皇・持統天皇は「律令」という法律を導入し、政治担当の太政官と宗教担当の神祇官を設置しました。この二本柱の政府構造と、全国を区分けする地方制度は、その後1000年続く、日本社会の長期的なOS(オペレーティングシステム)として機能し続けることになります。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:古代の改革が現代に残した爪痕

8世紀の改革は、単なる昔話ではありません。天皇を中心とする国家観や、法に基づく統治システムは、その後の日本史を決定づけました。
この記事のポイントは、以下の3つです。

天武・持統天皇が権力を中央集権化
伊勢神宮や仏教で皇室の権威上昇
律令制度が長きにわたる統治基盤に

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

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❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.律令制度はいつ頃から始まりましたか?

7世紀後半から徐々に整備され、701年の「大宝律令」で本格的に完成しました。天武・持統天皇の時代にその基礎が大きく作られました。

Q2.太政官と神祇官の違いは何ですか?

太政官は政治や行政全般を担当し、神祇官は神道儀式や祭祀を担当しました。政治と宗教の役割を組織として明確に分けたのが特徴です。

Q3.なぜこの時代に急いで改革をしたのですか?

国内の権力争いを抑え込み、強大化する中国(唐)に対抗できる「強い統一国家」を作る必要があったからです。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

[この記事を書いた人]

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。


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