大化の改新と蘇我氏滅亡!唐の脅威が生んだ改革|5分de探究#011

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大化の改新と蘇我氏滅亡!唐の脅威が生んだ改革|5分で探究#011
大化の改新が、日本滅亡を防ぐための緊急避難だったと知っていますか?


迫る唐の脅威と蘇我氏の専横。国家存亡の危機に立ち向かった、古代人たちの命懸けの改革を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 大化の改新と蘇我氏滅亡。唐の脅威が生んだ改革とは?


の脅威と蘇我氏の独裁に対抗するため、乙巳の変で実権を奪取。天皇中心の中央集権国家を築きました。
蘇我氏は天皇を凌ぐほどの勢力を持っていましたが、唐の脅威と、国内での専横が反発を招きました。危機感を抱いた中大兄皇子と中臣鎌足は、朝鮮からの使節を迎える儀式の最中にクーデターを決行。蘇我入鹿を暗殺し、一族を滅亡させました。(乙巳の変)

その後、即位した孝徳天皇のもとで日本初の元号「大化」が定められ、中国の律令制にならった中央集権国家への改革「大化の改新」が始まります。土地制度の変更や戸籍の整備など、天皇を中心とした新しい国づくりがここに本格化したのです。

唐の脅威が日本を変えた理由

唐王朝:7世紀に中国を統一した巨大帝国。高度な軍事力を持ち、日本へ多大な影響を与えた。
蘇我氏:大和政権で絶大な権力を握った豪族。仏教受容を主導し、皇位継承争いにも介入した。
中央集権化:豪族による土地支配から、天皇と朝廷が全国を一元的に統治する体制へ転換すること。

かつて分裂していた中国大陸に、強大な「唐王朝」が誕生しました。それまでのヤマト王権は、大陸の混乱を利用して利益を得ることもできましたが、状況は一変しました。

唐の圧倒的な軍事力と高度な文化は、日本の支配者層にとって無視できない脅威であり、同時に強烈な憧れの対象でもあったのです。




一方、国内に目を向けると、そこには別の問題がありました。「蘇我氏」の存在です。彼らは莫大な富と軍事力で政治を牛耳っていました。長である蘇我入鹿は、実質的に国で最も力を持つ男として振る舞い、天皇家すら脅かしていました。

外には巨大な帝国、内には専横を極める蘇我氏。「このままでは国が立ち行かない」という危機感が、天皇を中心とした「中央集権化」への渇望を生み出していたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

当時の日本は、中国を統一した唐の出現により、国の仕組みを強化する必要に迫られていました。しかし、国内では蘇我氏が天皇を凌ぐほどの権力を持ち、改革の障害となっていました。外からの圧力内側の権力独占という二重の課題が、歴史を動かす火種となっていたのです。


宮殿の儀式の最中に、剣を持った人物たちが飛び出し、権力者を襲撃する緊迫した場面のイラスト


── では、この膠着状態を打破した劇的な事件を見ていきましょう。

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蘇我入鹿はどう暗殺されたか

乙巳の変(いっしのへん)645年、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏本家を滅亡させた。
中大兄皇子:後の天智天皇。蘇我氏を打倒し、皇室の権威回復と中央集権体制の確立を目指した。
中臣鎌足:藤原氏の祖。中大兄皇子と共に極秘で計画を練り上げ、大化の改新を支えた参謀。

蘇我氏の支配を終わらせたのは戦争ではなく、周到に計画された暗殺劇でした。645年6月12日、朝鮮からの使節を迎える儀式が行われている最中、歴史は動きます。

皇室の復権を願う
中大兄皇子と、蘇我氏に対抗する中臣鎌足は、入鹿が出席する儀式の場を襲撃の舞台に選んだのです。「乙巳の変」と呼ばれるこの事件は、まさに命がけの賭けでした。




実行役の兵士は恐怖で嘔吐し、合図の上表文を読む石川麻呂は全身から冷や汗を流して震えていたと伝わっています。不審に思った入鹿が「なぜ震えている」と問うと、彼は「天皇の御前で恐れ多いからです」と必死にごまかしました。

一瞬の隙を突き、中大兄皇子自らが飛び出して入鹿に斬りかかります。この事件により、蘇我氏の本家は滅亡し、政治の主導権は再び皇室へと戻ったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

中大兄皇子らは、強大な軍事力を持つ蘇我氏に対し、正面からの戦争ではなく、儀式の場での奇襲という決死の手段を選びました。現場の生々しい緊張感が伝わる極限状態の中でクーデターは見事に成功し、長年続いた蘇我氏の独裁体制は、一夜にしてあっけなく崩壊することとなったのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


古い巻物が広げられ、そこから新しい法律や役所の仕組みを表す図が飛び出してくるようなイメージ


── では、権力を取り戻した彼らはどのような国を作ったのでしょうか。

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改新の詔は何を目指したのか

大化の改新:乙巳の変後、唐をモデルに行われた政治改革。天皇中心の国づくりが進められた。
改新の詔(みことのり)646年に発出。土地と人民を公のものとする公地公民制を宣言した。
元号:中国にならい、特定の期間に名前をつける制度のこと。「大化」は日本で最初の元号。

クーデターはあくまで始まりに過ぎませんでした。新政権の真の目的は、日本を唐のような強力な中央集権国家作り変えることであり、「改新の詔」が孝徳天皇のもとで出されます。

豪族私有の土地や人民を天皇のものとし(公地公民)、地方に行政官を派遣して統治させるシステムへ転換されました。「大化の改新」とは、数十年かけて国の形を根底から変えていく壮大なプロジェクトだったのです。




この改革の象徴と言えるのが、日本初の元号である「大化」の制定です。中国の皇帝と同じように、天皇が「時間」さえも支配するという意志の表れでした。また、村々を組織化して戸籍を作り、税を徴収する仕組みも整えられました。

のちに天智天皇となった中大兄皇子は、日本初の成文法典である「近江令」の編纂も命じています。こうして、法と行政による支配を確立していったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

彼らが目指したのは、天皇を中心とした「役所による統治」でした。土地や人を天皇の管理下に置き、法律(律令)で国を治める。唐の脅威に対抗できる強い国になるため、唐流のシステムを導入したのです。単なる豪族連合から、一つのまとまった国家へと生まれ変わろうとしたのです。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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結:蘇我氏滅亡と大化の改新

唐の脅威蘇我氏の専横に危機感を抱いた中大兄皇子らが、クーデター(乙巳の変)で実権を奪還し、天皇を中心とする中央集権国家を目指して「大化の改新」を断行する流れでした。この記事のポイントは、以下の3つです。

唐の圧力と蘇我氏の専横で改革へ
中大兄皇子らがクーデターで実権奪還
中国を模範とした中央集権国家へ

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

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❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.なぜ蘇我入鹿は、儀式の最中という公の場で殺されたのですか?

確実に仕留めるためでもありますが、公衆の面前で「皇室への反逆者」として処罰することで、中大兄皇子らの正当性を周囲に誇示する狙いがありました。

Q2.「乙巳の変」と「大化の改新」の違いは何ですか?

「乙巳の変」は645年のクーデターそのものを指し、「大化の改新」はその後に続いた一連の政治改革全体を指します。変は改新のきっかけでした。

Q3.「大化」という元号にはどんな意味がありますか?

「大いなる徳による教化」を意味し、天皇の徳によって民を導くという理想が込められています。中国の制度を取り入れ、新しい時代を画する象徴でした。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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[この記事を書いた人]

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。


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