植民地政策と皇民化の矛盾!朝鮮や台湾を差別?|5分de探究#102

明治・大正
植民地政策と皇民化の矛盾!朝鮮や台湾を差別?|5分de探究#102
日本はなぜ植民地で矛盾した政策をとったのでしょうか?


現地の人々を苦しめた皇民化と同化の裏にある、根深い差別意識と官僚の対立構造。教科書にはない支配の実態を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q.植民地政策と皇民化にはどんな矛盾があったのか?


同化政策を掲げつつ人種差別意識で区別するという、一貫性のない統治が現場での深刻な搾取を生みました。

1919年のパリ講和会議を経て五大国となった日本。しかしその栄光の裏では、植民地に対する一貫性のない統治と深い矛盾が進行していました。本稿では皇民化という同化政策と、根深い人種差別意識の衝突に注目します。

朝鮮や台湾、そして沖縄や北海道で、現地の人々がいかに扱われ、どのような搾取が行われたのか。当時の官僚組織が抱えた構造的な欠陥と、現代に続く歴史の暗部を具体的に紐解き、日本が抱えた植民地支配の実態を明らかにします。

植民地統治の方針対立と「拓務省」

拓務省:大蔵省や外務省と並んで設置され、海外領土の統治行政を専門に管轄した中央官庁。
皇民化:植民地の人々を天皇の忠実な臣民とするため、日本風の生活様式を強制した諸政策。
同化政策:言語や文化を強制的に日本化させ、内地人と区別なく国家に統合しようとする統治方針。

1919年、日本は世界の大国としての地位を確立しました。しかし、獲得した植民地をどう扱うかについて、東京の「拓務省」をはじめとする官僚たちの意見は大きく割れていました。ある者は「皇民化」を掲げ、徹底した同化政策によって現地の人々を日本人と同じ忠実な臣民に作り変えるべきだと強く主張しました。


一方で、人種的な偏見から、非日本人は永久に区別されるべきだとする考えも根強くありました。この「同化政策」「差別的支配」のどっちつかずの状態こそが、日本の植民地政策の大きな特徴です。その結果、現場の方針は一貫性を欠き場当たり的な対応によって現地の人々を大きく翻弄し苦しめることになりました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

日本政府内でも、現地の人々を「日本人として同化させるか」、それとも「支配対象として明確に区別するか」という点で意見が激しく対立していました。この政府内での方針の致命的なブレこそが、現場での場当たり的で理不尽な対応を生み、多くの人々を苦しめる根本的な原因となったのです。


古い地図や資料が机の上に乱雑に置かれ、混沌とした政策決定の様子を暗示するイメージ


── では、国内での扱いはどうだったのか見ていきましょう。

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国内の異文化と同化の強制「旧土人」

北海道旧土人保護法:1899年に制定され、アイヌ民族を特定居留地に押し込め農業を強要した差別的な法律。
コタン:アイヌ民族が川沿いなどに形成した、彼らの生活と固有の信仰の拠点となっていた集落。
札幌:近代的都市計画に基づき、碁盤の目状の街路や西洋建築が導入された北海道統治の拠点。

矛盾した政策は、すでに日本領とされていた地域でも顕著でした。沖縄では言語や宗教への厳しい同化が強制される一方、北海道では1899年の「北海道旧土人保護法」により、アイヌ民族へのあからさまな隔離政策が行われました。これは当時アメリカで行われていた先住民居留地制度をモデルにして作られたものでした。


近代化の象徴として建設された「札幌」の街は、元々あったアイヌの「コタン」を排除した上に成り立っています。西洋風の美しい公園や整然とした道路の裏側で、彼らの大切な文化や生活の場は奪われ続けました。この差別的な法律が廃止され、アイヌ文化の振興へと舵が切られたのは、驚くべきことに1997年のことです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

日本国内でも扱いは矛盾していました。沖縄には徹底した「日本人化」を強いる一方で、北海道のアイヌ民族には隔離と同化を同時に行うなど、相手によって都合よく対応を変える二重基準の差別的な管理が行われていたのです。近代化の影で、固有の文化が一方的に排除されていたのが実情です。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


大勢の人々が通りで手を挙げて行進している、騒然とした抗議活動の様子を描いたイラスト


── では、海を越えた植民地での実態に迫りましょう。

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激化する抵抗と武断政治「総督府」

三・一運動:1919年、ウィルソンの民族自決論に触発され朝鮮全土で巻き起こった独立万歳運動。
創氏改名:朝鮮の人々の伝統的な名前を奪い、強制的に日本式の氏名へ変更させた皇民化政策の一つ。
日鮮同祖論:日本と朝鮮の祖先は同一であるとし、併合や厳しい同化政策を正当化するために用いた説。

朝鮮や台湾では軍部主導「総督府」が支配しました。特に朝鮮では「日鮮同祖論」を振りかざして同化を迫り、「創氏改名」で名前さえも奪いました。これに対し、1919年には「三・一運動」という大規模な抵抗が勃発します。日本側はこれを徹底的な武力行使で鎮圧し、推定で7500人以上もの人々が犠牲となりました。


ミクロネシアなどの南洋諸島でも状況は同様、あるいはより深刻でした。現地の人々は教育の機会を奪われ単純な労働力として酷使されました。戦時中には多くの男性が軍に徴用され、女性は「慰安婦」として動員されるなど、植民地の人々は戦争遂行のための道具として、非人道的に利用され尽くしたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

「同じ祖先を持つ」といった綺麗な言葉とは裏腹に、実態は名前や文化を奪う暴力的な支配そのものでした。必死の抵抗運動は強大な武力で抑え込まれ、戦争が激化すると彼らは人的資源として過酷に搾取されました。理念なき支配が、多くの人々の尊厳を踏みにじる結果を招いたと言えます。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:植民地支配の本質「利己心」

日本の植民地政策は「現地のため」でも「アジアの連帯」でもなく、深く利己的な動機に基づいたものでした。同化と同胞意識を説きながら、実際には差別と搾取を行うという矛盾。この歴史的事実を直視することなしに、近現代史の正しい理解はあり得ません。
この記事のポイントは、以下の3つです。

官僚間での統治方針の不一致
アイヌや琉球への同化の強制
朝鮮や台湾での搾取と弾圧

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.なぜ植民地政策には一貫性がなかったのですか?

政府内で「日本人として同化させる派」と「人種的に区別して支配する派」が対立していたため、方針が定まりませんでした。

Q2.「創氏改名」とは具体的に何をしたのですか?

朝鮮の人々の伝統的な名前を禁止し、日本風の氏名への変更を強制した政策です。皇民化政策の代表例とされます。

Q3.日本の植民地支配は欧米とどう違ったのですか?

「同じアジア人」という同化を掲げた点が特徴ですが、実態としての搾取や暴力性は欧米の植民地支配と変わりませんでした。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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