米騒動と原敬!日本初の平民宰相が誕生した理由|5分de探究#105

明治・大正
米騒動と原敬!日本初の平民宰相が誕生した理由|5分de探究#105
教科書で習った「平民宰相」原敬、なぜ彼が選ばれたのでしょうか?


実は米騒動という国家の危機が、古い政治を壊すきっかけでした。激動のドラマと「平民宰相」誕生の裏側を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 米騒動の混乱が原敬の首相就任を招いた理由とは?


米騒動による寺内内閣の崩壊を受け、体制維持を図る元老が政党政治の力に頼り原敬を指名したからです。

1918年、日本全土を揺るがした米騒動。その背景には、都市人口の急増による食糧不足や、シベリア出兵に伴う投機的な米価の暴騰がありました。富山の漁村から始まった抗議は全国へ波及し、寺内内閣総辞職に追い込みます。

この混乱を収束させるため、元老・山縣有朋が白羽の矢を立てたのが、原敬でした。彼は爵位を持たない平民として初の首相となり、本格的な政党政治の扉を開きます。大正デモクラシーの幕開けとなった、激動のドラマを追います。

米騒動と原敬!初の平民宰相誕生の「背景」

シベリア出兵:ロシア革命への干渉を目的に、日本軍がシベリアへ軍隊を派遣した大規模な軍事行動
大正デモクラシー:民主主義的な風潮が高まり、民衆が政治参加や自由を求めた大正時代の社会的・政治運動
越中女房一揆:富山県の漁村女性らが、米の県外への積み出し停止を求めて起こした集団的な抗議行動

「米騒動」と聞くと、単なる暴動だと思っていませんか。実はこれ、日本の政治システムを根底から覆した巨大な転換点でした。1918年、大戦景気に沸く一方で物価は急騰。特に主食である「米」は、都市人口の急増に対して生産が全く追いつかず、庶民の生活を直撃する危機的な不足状態に陥っていたのです。


そこに追い打ちをかけたのがシベリア出兵です。軍用米の買い占めにより、米価は短期間で倍増。労働者の年収の約3割が米代に消える異常事態となります。耐えかねた富山県魚津の主婦たちが起こした越中女房一揆は、瞬く間に全国へ飛び火。これが、民衆が政治に声を上げ始めた大正デモクラシーの号砲となります。

🔍 つまりどういうこと?🔍

人口爆発と不作に加え、政府のシベリア出兵を見越した業者による投機的な買い占めが重なり、米の値段が庶民の手の届かないレベルまで高騰しました。生活苦に喘ぐ人々の怒りが、富山の小さな港町から爆発し、警察権力でも止められない全国規模の騒乱へと発展してしまったのです。


燃え上がる米穀店と群衆のイメージ


── では、この未曾有の混乱に政府はどう対応したのか見ていきましょう。

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寺内内閣崩壊!元老山縣有朋の苦渋の「決断」

寺内正毅:米騒動の混乱の責任を取って総辞職した、陸軍出身でビリケン宰相と呼ばれた第18代首相
山縣有朋:陸軍の重鎮であり、政党政治を嫌いながらも事態収拾のため原敬を推薦した保守派の元老
藩閥政治:明治維新の功労者である薩摩や長州の出身者が、政府の要職を独占して行っていた政治体制

約1000万人が参加したとされるこの騒動は、時の政権をも吹き飛ばしました。当時の首相は、長州出身の陸軍大将、寺内正毅です。「ビリケン宰相」と揶揄された彼は、軍隊を動員して鎮圧を図りますが、猛烈な批判を浴びて総辞職。これは、特定の地域出身者が権力を握る藩閥政治の限界を露呈する出来事でした。


頭を抱えたのが、元老・山縣有朋でした。彼は政党政治家を毛嫌いしていましたが、状況は切迫しています。前年にはロシア革命が起き、共産主義の波が日本に及ぶことを恐れていました。「このままでは国が滅ぶ」。危機感を抱いた山縣は、自身の信念を曲げてでも、事態を収拾できる人物を選ぶ決断を下します。

🔍 つまりどういうこと?🔍

軍事力で民衆を押さえつける旧来の手法はもはや通用せず、寺内内閣は倒れました。革命による国家転覆を恐れた権力者の山縣有朋は、嫌っていたはずの政党の力を借りて国民の不満のガス抜きを図る以外に、崩壊寸前の体制を維持して生き残る道はないと判断したのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


原敬の肖像と国会議事堂のシルエット


── では、山縣が選んだ「原敬」とは何者だったのか迫りましょう。

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爵位を拒否!政党政治を確立した原敬の「実像」

立憲政友会:伊藤博文が創設し、原敬の指導下で日本初の本格的な政党内閣を組織することになった政党
平民宰相:爵位を持たず衆議院議員の身分のまま首相になった原敬に付けられた有名なニックネーム
官尊民卑:官僚こそが偉く、民間人は愚かであるとして見下す、当時の役人が持っていた差別的意識

白羽の矢が立ったのが、原敬です。彼は岩手県の南部藩出身。戊辰戦争で朝敵とされた側の人間で、薩長藩閥のコネはありませんでした。記者や官僚を経て、伊藤博文が創設した立憲政友会の実力者へとのし上がります。爵位を持たない「平民」としての立場を貫き、平民宰相と呼ばれた異色の存在でした。


原は単なる大衆の味方ではありません。元官僚として官尊民卑の意識もありましたが、誰よりも政治のリアリストでした。山縣ら特権階級と渡り合い、巧みな手腕で政党の影響力を拡大させます。日本初の本格的な政党内閣の誕生は、民衆の人気と権力者との交渉を両立させた、彼のしたたかな戦略の結晶でした。

🔍 つまりどういうこと?🔍

原敬は、敗者の側の出身から実力で這い上がった苦労人でした。彼は「平民出身」というブランドを巧みに利用しつつ、実際には冷徹な計算のできる政治家として、特権階級と民衆の間のバランスを取りました。そして、日本における本格的な政党政治の時代を切り拓いていったのです。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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  • STEP 1.一気読みでサクッと把握5min

  • STEP 2.この記事で理解を深める5min

  • STEP 3.拡大版noteで裏側まで10min

── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:大正の転換点!米騒動と原敬の「功績」

1918年の米騒動は、生活苦にあえぐ民衆の怒りが爆発した歴史的事件でした。これにより藩閥政治の限界が露呈し、寺内内閣は倒れます。この国家の危機を乗り越えるため、初の本格的政党内閣である原敬内閣が誕生しました。原は平民宰相として、古い政治体制に風穴を開け、新しい時代のリーダーとなったのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

生活苦が招いた米騒動の勃発
寺内内閣倒壊と政党政治への転換
平民宰相原敬の誕生と戦略

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.米騒動はいつ、どこから始まりましたか?

1918年7月、富山県魚津町の海岸で、漁師の妻たちが米の積み出しに抗議したことが始まりとされています。

Q2.なぜ原敬は「平民宰相」と呼ばれたのですか?

首相就任時に華族の爵位を持っておらず、衆議院議員という平民の身分のままで総理大臣になったためです。

Q3.この出来事は後の歴史にどう影響しましたか?

少数の元老による藩閥政治から、政党が中心となって内閣を組織する政党政治へと移り変わる転換点となりました。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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