大正デモクラシー!政党が藩閥を倒した武器|5分de探究#103

明治・大正
大正デモクラシー!政党が藩閥を倒した武器|5分de探究#103
日本の民主主義は、戦後の贈り物だと思っていませんか?


実は戦前、ペンと世論を武器に強大な藩閥政府へ挑んだ熱き男たちがいました。彼らがいかにして権利を勝ち取ったのか、その知略を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 大正デモクラシーで政党が藩閥を倒した最強の武器とは?


議会が持つ予算審議権を盾に政府を揺さぶり、シーメンス事件等の汚職を世論と共に追及して内閣を倒しました。

日本の民主主義は、戦後のGHQ占領によって初めてもたらされたと思われがちです。しかし実際には、明治から大正期にかけてその萌芽は確かに存在しました。

藩閥政治という強大な壁に対し、当時の政党は予算審議権というナイフとスキャンダル追及という拡声器を武器に戦ったのです。シーメンス事件での山本権兵衛内閣の崩壊は、その象徴的な事例でした。先人たちは与えられた憲法の枠内で、国産の民主主義を育てようとしていたのです。

藩閥政治を揺るがした政党の「武器」

藩閥:明治政府の要職を独占し、非民主的に権力を振るった薩摩や長州出身の排他的集団
GHQ占領:第二次世界大戦の敗戦後、GHQが日本の統治機構を間接的に支配した、歴史的期間
大正天皇:病弱ながらも、その在位期間に政党政治や民主主義の機運が高まった第百二十三代天皇

私たちはよく、日本の民主主義は第二次世界大戦後のアメリカ主導による「占領」の産物だと考えがちです。学校の歴史授業でもそう習ったかもしれません。しかし、それは歴史の一側面に過ぎないのです。実はそれよりも前、明治の終わりから大正時代にかけて、日本独自の民主化運動が力強く芽吹き、国を動かそうとしていました。


当時、政治の実権を握っていたのは薩摩や長州出身の元武士たち、いわゆる「藩閥」でした。彼らは選挙で選ばれたわけでもないのに、強力な権限を持っていました。しかし、「大正天皇」の時代に入ると状況が変わります。この堅固な支配体制に対して、選挙で選ばれた政党が果敢に挑み始め、議会を通じて声を上げ始めたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

日本の民主主義は、戦後にアメリカからプレゼントされたものではありません。それよりもずっと前から、特権階級による支配を打破しようとする、日本人自身による粘り強い戦いの歴史があったのです。私たちは、誰かに与えられたものではなく、自ら勝ち取ろうとした先人たちの熱い意志を再評価する必要があります。


藩閥の壁に挑む政党のイメージ


── では、彼らはどう戦ったのか見ましょう。

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予算審議権という議会の強力な「切り札」

衆議院:選挙で選出された議員で構成され、予算の先議権を保持していた帝国議会の下院組織
立憲政友会:伊藤博文が自ら結成し、後に藩閥政府と激しく対立することになる巨大な既成政党
予算:政府の活動資金であり、その成立には衆議院の承認が絶対条件となる国家の家計簿

明治憲法下において、「衆議院」の権限は一見すると非常に弱いものでした。選挙権を持っていたのは一部の富裕層だけでしたし、内閣総理大臣を指名する権限もありません。しかし、彼らにはたった一つ、最強の切り札がありました。それが「予算」を承認する権利です。これがないと、政府は新しい政策を実行できない仕組みでした。


国を動かすには莫大なお金がかかります。特に軍備拡張や近代化を急ぎたい政府にとって、新しい予算が通らないのは死活問題でした。この力関係に気づいた伊藤博文でさえ、自ら「立憲政友会」を作って議会対策に乗り出したほどです。政党は「金を出してほしければ、我々の要求を飲め」と迫り、徐々に発言力を強めていきました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

どんなに偉い権力者も、お金がなければ何もできません。当時の政党政治家たちは、「財布の紐」という急所を握ることで、圧倒的な権力を持つ藩閥政府と対等に渡り合う力を手に入れたのです。正面からの力技ではなく、システムの急所を突くことで巨人を動かす、非常にしたたかで知的な戦略だったと言えるでしょう。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


予算案を審議する衆議院の様子


── では、スキャンダルを見ましょう。

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世論を味方につけた汚職事件の「追及」

シーメンス事件:ドイツ企業による海軍高官への贈収賄が発覚し、内閣総辞職に発展した一大汚職事件
山本権兵衛:薩摩閥の海軍大将でありながら、汚職疑惑の責任を取り辞職した時の内閣総理大臣
カール・リヒター:企業の機密書類を盗み出し、通信社にリークすることで汚職を暴いたドイツ人告発者

政党が持っていたもう一つの武器、それは「世論」でした。1914年、ドイツの「カール・リヒター」という社員の内部告発により、海軍高官が賄賂を受け取っていた「シーメンス事件」が発覚します。新聞はこのスキャンダルを大々的に報じ、国民の怒りは頂点に達しました。情報は瞬く間に広がり、政治への不信感が爆発したのです。


時の首相、「山本権兵衛」は海軍出身です。彼は軍艦を増やす予算を通したかったのですが、野党は「汚職まみれの海軍に金は出せない」徹底抗戦しました。国会を取り囲む群衆の抗議デモと、予算審議の停滞によって、ついに山本内閣は総辞職に追い込まれます。これは、民衆の声と議会の連携が巨悪を倒した瞬間でもありました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

スキャンダルを利用して世論を煽り、それを背景に議会で政府を追及する。この現代にも通じる政治手法は、選挙で選ばれていないエリートたちを権力の座から引きずり下ろすための、強力な戦術として機能したのです。情報と感情を巧みに操り、物理的な武力を持たない者たちが政治的な勝利を収めた鮮やかな例です。


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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:民主主義を勝ち取った先人の「知恵」

大正デモクラシーは、単なる一時的な流行ではありませんでした。それは、明治憲法という限られたルールの下で、いかにして国民の声を政治に反映させるかという、先人たちの知恵と闘争の記録です。彼らの戦いを知ることは、現代の民主主義をより深く理解する手助けとなるでしょう。
この記事のポイントは、以下の3つです。

戦前から続く民主化の土着の歴史
予算審議権という強力な武器
汚職を追及し内閣を倒す政治手段

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.大正デモクラシーはいつ頃の話ですか?

主に大正時代(1912年〜1926年)を中心とした期間です。しかしその動きは、明治時代末期からすでに始まっていました。

Q2.藩閥と政党は何が違うのですか?

藩閥は薩長出身者による非選出の特権グループです。対して政党は、選挙を通じて国民(当時は一部)を代表する組織です。

Q3.なぜこの時代を知る必要があるのですか?

日本人が自らの手で民主主義を育てようとした経験を知ることで、受動的ではない、主体的な政治参加の意義を再確認できるからです。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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