下剋上の実例!山名・細川氏は応仁の乱後消えた|5分de探究#053

室町時代
下剋上の実例!山名・細川氏は応仁の乱後消えた|5分de探究#053
現場の反乱で、組織が崩壊する恐怖を感じたことはありませんか?


支配者も足元の突き上げに震えていました。地方武士の台頭とエリートの誤算から、乱世を生き抜くヒントを”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q.山名氏と細川氏は、応仁の乱の後になぜ没落してしまったのか?


山名氏国人一揆で領地を奪われ、細川氏クーデターで幕府の秩序を破壊し戦国乱世を招いたからです。

かつての有力守護大名である山名氏や細川氏は、地域の「国人」と呼ばれる武装勢力の台頭や内紛により衰退しました。山名氏は国人一揆により6カ国の支配権を失い、但馬・因幡の小大名へと転落します。

一方、細川氏は政元が1493年にクーデターを起こし、将軍の首をすげ替えることで幕府の実権を掌握しました。これらは室町幕府の権威失墜と、実力のみが物を言う戦国時代の到来を決定づける象徴的な出来事となりました。

幕府を揺るがす地方武士「国人」

国人:地方に根を張り武力を蓄えた領主層。のちの戦国大名や強力な家臣団の母体となる存在。
地頭:鎌倉時代に設置された荘園や公領の管理職。国人のルーツであり徴税や警察権を持っていた。
御家人:将軍と直接の主従関係を結んだ武士。国人の多くはこの身分を持ち守護の権力を牽制した。

山名政豊のように文化的な洗練を好む大名にとって、地方の泥臭い統治は頭の痛い問題でした。特に厄介だったのが、武士社会の中流階級ともいえる国人たちです。彼らはもともと鎌倉時代に地頭として現地を管理していた一族の末裔であり、その土地に代々根付いた非常に強い影響力と独自のネットワークを持っていたのです。


多くの国人は、かつて将軍直属の御家人として守護の力を監視する役割を担っていました。そのため、室町時代になっても簡単には守護に従いません。守護たちは彼らを懐柔するために税収の一部を渡すなど様々な妥協をしましたが、彼らの独立心は非常に旺盛で、幕府の権威が揺らぐとすぐに牙をむいて反乱を起こしたのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

中央から派遣された知事である守護に対し、地元の有力者たちである国人「俺たちの土地だ」と主張して従わなくなりました。彼らは古くからの権利を持ち、守護の命令よりも自分たちの利益と団結を優先して、勝手に同盟を組むなど、もはや完全に上からの統制が効かない状態になってしまったのです。


刀を構えて団結する地方武士たちのシルエット


── では、彼らの反抗が招いた結果を見てみましょう。

スポンサーリンク

領国を追われる山名氏の「末路」

国人一揆:地域の国人たちが団結して守護や領主の支配に抵抗するために結んだ政治的かつ軍事的な同盟。
山名政豊:応仁の乱後の山名氏当主。度重なる国人の反乱に苦しみ多くの領国を失ってしまった悲運の武将。
斯波氏:尾張や越前などを治めた守護大名。信濃国で国人の激しい抵抗に遭い地域の支配に失敗した。

国人たちの抵抗力を示す好例が、1387年に信濃国で起きた斯波氏への排斥運動です。国人たちは国人一揆を結成して守護の入国を物理的に阻止し、最終的には将軍義満に守護の権限を停止させるほどの大勝利を収めました。これと全く同じ統治不全の悪夢が、6カ国もの守護を務めていた名門山名氏を襲うことになります。


広大な領土を持つ山名氏にとって、すべての土地を直接管理するのは不可能でした。各地で国人一揆が頻発し、山名政豊の時代には但馬と因幡の2カ国を残して支配権を喪失してしまいます。さらに政豊の死後、一族は但馬と因幡の分家に分裂。のちに山名祐豊が登場する頃には、かつての大勢力は見る影もなくなっていました。

🔍 つまりどういうこと?🔍

手を広げすぎた大企業が、現場の社員である国人の反乱によって支店を次々と閉鎖に追い込まれたようなものです。辛うじて残った本店である但馬と因幡でもお家騒動が泥沼化し、かつて日本を二分する勢力だった山名氏は急速に力を失って、ただの地方の小勢力へと落ちぶれてしまったのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


京都の御所で密談をする公家と武将のイラスト


── では、中央の政治はどうなったか確認しましょう。

スポンサーリンク

管領細川氏が招いた幕府の「解体」

細川頼之:南北朝期に活躍した細川氏の英傑。管領として幕府を支え中国地方の平定に多大な尽力をした。
細川政元:勝元の子で半将軍と呼ばれた実力者。将軍を廃立する前代未聞のクーデターを断行した人物。
明応の政変:1493年に細川政元が将軍足利義材を追放した事件。戦国時代の始期ともされる重要な転換点。

山名氏のライバルであった細川氏はどうなったのでしょうか。かつて細川頼之という英傑が中国地方を平定し、幕府ナンバー2の管領として君臨しました。しかし、応仁の乱で山名氏と激突したのち、その権力構造は大きく変質します。乱の後継者である細川政元は、父勝元以上に冷徹で大胆な戦略家として頭角を現したのです。


1493年、政元は軍を率いて京都へ入り、将軍足利義材を追放して自分の意のままになる義澄を将軍に据えました。これが明応の政変です。将軍家への忠誠という建前すら捨て去り、実力のある者がトップの首をすげ替える。この瞬間、室町幕府の権威は完全に地に落ち、実質的な戦国時代が幕を開けることになったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

ナンバー2であるはずの細川氏が、社長である将軍をクビにして、言うことを聞く別の社長を連れてきました。これにより「将軍よりも家臣の方が強い」というルール破りが公然の事実となり、権威は完全に失墜して、力こそ正義の実力行使がまかり通る戦国時代へと突入してしまったのです。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

📚続けて読みたい 5分de探究記事📚

次回のお話はこちら!

細川政元の暗殺!3人の養子が招いた名門の崩壊|5分de探究#054
優秀なリーダーが去った途端、組織が崩壊するのはなぜでしょうか? その原因は、意外にもトップ自身の引き継ぎにあるかもしれません。名門細川家の泥沼の内紛劇から、組織を長生きさせるための戦略を学べます。
  • STEP 1.一気読みでサクッと把握5min

  • STEP 2.この記事で理解を深める5min

  • STEP 3.拡大版noteで裏側まで10min

── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

スポンサーリンク

まとめ:守護支配の崩壊と戦国の「到来」

室町時代後期、山名氏や細川氏といった有力守護大名は、足元からの突き上げによってその権威を失いました。地方では国人が自立して守護を追い出し、中央では細川政元が将軍の権威を徹底的に破壊しました。これらはすべて、古い権威主義が音を立てて崩壊し、実力主義の世の中へと変わるための激しい陣痛だったといえるのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

国人は守護の支配を拒絶し独立
山名氏は内紛と一揆で勢力を喪失
細川氏は将軍を傀儡化し幕府を破壊

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.山名氏は最終的にどうなったのですか?

1580年に織田信長と対立して滅びるまで、但馬・因幡の小大名として存続しました。一部は生き残り、家名は封建制度の終わりまで続きます。

Q2.細川氏と山名氏の違いは何ですか?

どちらも源氏の名門ですが、細川氏は足利氏の分家であり、より将軍家に近い存在でした。そのため管領職を歴任し、幕府の中枢で権力を振るいました。

Q3.なぜこの時代を学ぶと面白いのですか?

権威や伝統が崩れ、実力のある者が成り上がるダイナミズムがあるからです。現代の組織論やリーダーシップに通じる教訓が多く詰まっています。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。

[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
── 最後まで読んでくれたあなたへ。「5分の枠」には収まりきらなかった、もっとディープな歴史の裏側を覗いてみませんか?
📚このテーマのロング版記事📚


※鋭意製作中です。

👇noteではこんな話をしてます(目次)👇

※鋭意製作中。今しばらくお待ちください


スポンサーリンク
── もっと深く知りたい人向けに本のご紹介。

🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

本の表紙

当ブログと相性が抜群!図表が大量に掲載され、
学び直しに最適な一冊。
ご購入はこちらから

「高くてかさばる」歴史専門書の悩みにKindle Unlimitedなら、手が出しにくい
専門書も、スマホで手軽に読み放題。

室町時代
大人の日本史学び直し。

コメント欄 [スレッド上限:5階層]※暴言等含むコメントは非表示

タイトルとURLをコピーしました