▼ この記事でわかること
かつての有力守護大名である山名氏や細川氏は、地域の「国人」と呼ばれる武装勢力の台頭や内紛により衰退しました。山名氏は国人一揆により6カ国の支配権を失い、但馬・因幡の小大名へと転落します。
一方、細川氏は政元が1493年にクーデターを起こし、将軍の首をすげ替えることで幕府の実権を掌握しました。これらは室町幕府の権威失墜と、実力のみが物を言う戦国時代の到来を決定づける象徴的な出来事となりました。
幕府を揺るがす地方武士「国人」
山名政豊のように文化的な洗練を好む大名にとって、地方の泥臭い統治は頭の痛い問題でした。特に厄介だったのが、武士社会の中流階級ともいえる国人たちです。彼らはもともと鎌倉時代に地頭として現地を管理していた一族の末裔であり、その土地に代々根付いた非常に強い影響力と独自のネットワークを持っていたのです。
多くの国人は、かつて将軍直属の御家人として守護の力を監視する役割を担っていました。そのため、室町時代になっても簡単には守護に従いません。守護たちは彼らを懐柔するために税収の一部を渡すなど様々な妥協をしましたが、彼らの独立心は非常に旺盛で、幕府の権威が揺らぐとすぐに牙をむいて反乱を起こしたのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
中央から派遣された知事である守護に対し、地元の有力者たちである国人が「俺たちの土地だ」と主張して従わなくなりました。彼らは古くからの権利を持ち、守護の命令よりも自分たちの利益と団結を優先して、勝手に同盟を組むなど、もはや完全に上からの統制が効かない状態になってしまったのです。
── では、彼らの反抗が招いた結果を見てみましょう。
領国を追われる山名氏の「末路」
国人たちの抵抗力を示す好例が、1387年に信濃国で起きた斯波氏への排斥運動です。国人たちは国人一揆を結成して守護の入国を物理的に阻止し、最終的には将軍義満に守護の権限を停止させるほどの大勝利を収めました。これと全く同じ統治不全の悪夢が、6カ国もの守護を務めていた名門山名氏を襲うことになります。
広大な領土を持つ山名氏にとって、すべての土地を直接管理するのは不可能でした。各地で国人一揆が頻発し、山名政豊の時代には但馬と因幡の2カ国を残して支配権を喪失してしまいます。さらに政豊の死後、一族は但馬と因幡の分家に分裂。のちに山名祐豊が登場する頃には、かつての大勢力は見る影もなくなっていました。
🔍 つまりどういうこと?🔍
手を広げすぎた大企業が、現場の社員である国人の反乱によって支店を次々と閉鎖に追い込まれたようなものです。辛うじて残った本店である但馬と因幡でもお家騒動が泥沼化し、かつて日本を二分する勢力だった山名氏は急速に力を失って、ただの地方の小勢力へと落ちぶれてしまったのです。
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── では、中央の政治はどうなったか確認しましょう。
管領細川氏が招いた幕府の「解体」
山名氏のライバルであった細川氏はどうなったのでしょうか。かつて細川頼之という英傑が中国地方を平定し、幕府ナンバー2の管領として君臨しました。しかし、応仁の乱で山名氏と激突したのち、その権力構造は大きく変質します。乱の後継者である細川政元は、父勝元以上に冷徹で大胆な戦略家として頭角を現したのです。
1493年、政元は軍を率いて京都へ入り、将軍足利義材を追放して自分の意のままになる義澄を将軍に据えました。これが明応の政変です。将軍家への忠誠という建前すら捨て去り、実力のある者がトップの首をすげ替える。この瞬間、室町幕府の権威は完全に地に落ち、実質的な戦国時代が幕を開けることになったのです。
🔍 つまりどういうこと?🔍
ナンバー2であるはずの細川氏が、社長である将軍をクビにして、言うことを聞く別の社長を連れてきました。これにより「将軍よりも家臣の方が強い」というルール破りが公然の事実となり、権威は完全に失墜して、力こそ正義の実力行使がまかり通る戦国時代へと突入してしまったのです。
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── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:守護支配の崩壊と戦国の「到来」
室町時代後期、山名氏や細川氏といった有力守護大名は、足元からの突き上げによってその権威を失いました。地方では国人が自立して守護を追い出し、中央では細川政元が将軍の権威を徹底的に破壊しました。これらはすべて、古い権威主義が音を立てて崩壊し、実力主義の世の中へと変わるための激しい陣痛だったといえるのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣国人は守護の支配を拒絶し独立
‣山名氏は内紛と一揆で勢力を喪失
‣細川氏は将軍を傀儡化し幕府を破壊
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.山名氏は最終的にどうなったのですか?
1580年に織田信長と対立して滅びるまで、但馬・因幡の小大名として存続しました。一部は生き残り、家名は封建制度の終わりまで続きます。
Q2.細川氏と山名氏の違いは何ですか?
どちらも源氏の名門ですが、細川氏は足利氏の分家であり、より将軍家に近い存在でした。そのため管領職を歴任し、幕府の中枢で権力を振るいました。
Q3.なぜこの時代を学ぶと面白いのですか?
権威や伝統が崩れ、実力のある者が成り上がるダイナミズムがあるからです。現代の組織論やリーダーシップに通じる教訓が多く詰まっています。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
🖋この記事を書いた人🖋
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

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