その原因は、初代尊氏が作ったある仕組みにありました。この記事を読めば、組織崩壊の意外な原因と歴史の裏側にある大人の事情がスッキリ分かります。
室町幕府の評判が芳しくないのは、内戦を招いた脆弱な統治機構に原因があります。足利尊氏は南朝との争いに勝つため、地方の守護に強大な権限と土地の支配権を与えました。
その結果、山名氏のような有力守護が台頭し、将軍の権威を脅かすほどの軍事力と経済力を持つに至ります。第6代将軍義教のような強権的な統治者も現れましたが、彼は暗殺され、やがて応仁の乱を経て戦国時代へと突入していったのです。
▼ この記事でわかること
- 尊氏が守護に与えた危険な特権
- 六分の一殿と呼ばれた山名氏の裏話
- 組織崩壊を招いた構造的欠陥の理由
権益を与えすぎた尊氏の「誤算」
足利尊氏は南朝勢力との内戦に勝利するため、味方につけた武士たちに対して大幅な妥協を余儀なくされました。特に地方の守護に対し、自分の担当地域内で武力を使って紛争を解決する権限や、半済令による徴税権といった強力な「アメ」を与えたのです。これは短期的には支持を集めるのに役立ちましたが、やがて取り返しのつかない大きな「副作用」を生みました。
強力な権限を得た守護たちは、それをテコにして地方の武士たちを自らの被官として組織に組み込み始めました。本来、武士は「将軍に直結する存在」でしたが、彼らは守護個人の家来となっていったのです。これにより守護は単なる行政官から脱皮し、将軍ですら容易に手を出せない強大な軍事力と独自の支配領域を持つ、「独立した領主」へと変貌していきました。
🔍 つまりどういうこと?🔍
足利尊氏は目の前の戦争に勝つため、地方長官である守護に強い権限と財布の紐を渡すという「禁じ手」を使いました。その結果、守護たちは将軍の「コントロールを完全に離れ」、自分の軍隊と強固な経済基盤を持つ、いわば「独立した王様」のように振る舞える土壌が、日本各地に出来上がってしまったのです。
── では、具体的に彼らがどれほどの力を持ったのかを見てみましょう。
将軍を凌駕する大名の「経済力」
足利政権下では、一族で複数の国を支配する強力な守護が登場しました。中でも山名氏清は11カ国の守護を兼ね、六分の一殿と呼ばれるほどの勢力を誇りました。一方、将軍家の経済基盤は脆弱でした。直轄領の管理は奉公衆に委ねられましたが、飢饉や不手際による税収のロスが激しく、組織を支えるための「安定した収入源」とは到底言えなかったのです。
土地からの収入が不安定な幕府は、京都の商業税や、街道に設けた関所からの通行料、あるいは官職の売買で資金を工面せざるを得ませんでした。後の江戸幕府のように「圧倒的な直轄領」を持たなかった室町幕府は、経済的にも軍事的にも、肥大化しすぎた守護大名たちを力でねじ伏せることが非常に難しい、「圧倒的に不利な状況」にあったといえます。
🔍 つまりどういうこと?🔍
山名氏や細川氏といった守護大名が巨大な領国を経営して莫大な富を蓄える一方、将軍家は確実な収入源が少なく、金銭的にもまったく余裕がありませんでした。大名に対抗するための「軍資金」という極めて重要な点においても、室町幕府は常に「圧倒的に不利な立場」に置かれてしまっていたのです。
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── では、この危ういバランスがどう崩壊したかを確認しましょう。
カリスマに依存した組織の「限界」
構造的に弱い幕府を維持するには、足利義満のような「カリスマ」か、「恐怖」で守護を抑えつける第6代義教のような手腕が必要でした。しかし、義教が守護の赤松氏に嘉吉の乱で殺されると、「タガが外れます」。その後に続いた幼少の将軍や、政治への指導力を欠いた第8代足利義政の時代になると、もはや有力守護たちの対立を止める術はありませんでした。
本来なら守護の権力をチェックすべき将軍という「重し」が機能しなくなった結果、有力守護同士の争いが全国規模の内乱へと発展し、日本は長い戦国時代へと突入します。優秀な個人の力量に頼りきりで、凡庸なリーダーが立った時の「安全装置」をシステムとして持たなかったことこそが、「足利システム最大の弱点」だったとはっきりと言い切れるでしょう。
🔍 つまりどういうこと?🔍
「強い将軍」がいる間はどうにか保たれていたバランスも、ひとたび指導力が失われると「音を立てて一気に崩壊」しました。守護たちの巨大な力を制度的に制御する仕組みそのものが欠けていたため、将軍個人の能力低下がそのまま幕府の終わりと、「泥沼の内戦」の始まりに直結してしまったのです。
── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。
── 最後に、この記事のまとめとFAQでおさらいしましょう。
まとめ:幕府崩壊の真因
室町幕府の崩壊は、単なる政治の失敗ではなく、設立当初からの「構造的な問題」でした。過度な「権力の分散」と「財政基盤の致命的な弱さ」が、やがて制御不能な内戦を引き起こしたのです。歴史を学ぶ際は、個人の資質だけでなく、その背後にある「システム」の欠陥に目を向けることが大切です。「組織設計の重要性」を、私たちはここから深く学ぶことができるでしょう。
この記事のポイントは、以下の3つです。
‣尊氏による守護への権限移譲
‣山名氏ら守護大名の巨大化
‣属人的支配の限界と崩壊
ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。
Q1.なぜ足利尊氏は守護にそんなに強い権限を与えたのですか?
南朝との内戦に勝つためです。味方をつなぎとめる妥協策として、土地の支配権や徴税権といった強力なインセンティブを与える必要がありました。
Q2.「守護」と「守護大名」は何が違うのですか?
守護は本来の役職名ですが、半済令などを通じて領地経営を行い、個人的な家臣団を持って強大な地域支配者となった状態を「守護大名」と呼びます。
Q3.室町幕府の失敗から、現代の私たちは何を学べますか?
権限移譲のリスクです。相手をチェックする機能を伴わない権限委譲は、やがて組織全体のコントロールを失わせる原因になるという教訓があります。
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます
🖋この記事を書いた人🖋
Alex Kei(学び直し歴史ライター)
早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。🖋 この記事はどんな本を参考に?🖋

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