憲法9条と逆コースの真実!マッカーサーと冷戦|5分de探究#114

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憲法9条と逆コースの真実!マッカーサーと冷戦|5分de探究#114
平和憲法を作ったはずのGHQが、なぜ日本に再軍備を求めたのでしょうか?


冷戦の激化とマッカーサーの野心が招いた、方針転換の衝撃的な裏側。矛盾に満ちた占領政策の全貌を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q. 憲法9条と逆コースの真実とは?マッカーサーはどう動いたか


冷戦の激化とマッカーサーの政治的野心により、占領政策が逆コースへ転換し自衛隊が創設されました。

戦後日本の象徴である憲法第9条。その成立過程には、自衛権の解釈を残したGHQ内部の修正や、マッカーサー幣原喜重郎の駆け引きがありました。しかし冷戦の激化とともに、アメリカの占領政策は逆コースへと転換します。

マッカーサーの大統領選出馬という政治的野心も絡み、公職追放の矛先は軍国主義者から共産主義者へと変化。上から与えられた民主主義が抱える矛盾と、現代に続く自衛隊や改憲論議の原点を紐解きます。

📚お読みになる前に📚

憲法九条の成立と幻の「自衛権」

憲法第9条:戦争の放棄と戦力の不保持を定め、世界の平和主義憲法の中でも際立った特徴を持つ条文。
幣原喜重郎:戦前の協調外交で知られ、軍部の政治介入を防ぐために9条の発案者ともされる当時の首相。
チャールズ・ケージス:GHQ民政局の次長で、マッカーサー草案から自衛権の放棄を削除した実務担当の軍人。

世界でも類を見ない徹底した平和主義を掲げる憲法第9条。その起源には諸説ありますが、当時の幣原喜重郎首相が、二度と軍部が政治を暴走させないようマッカーサーに涙ながらに進言したという説が有力です。しかし実は、当初の草案よりも表現が意図的に緩和され、解釈の余地が残されていたことをご存知でしょうか。


GHQ民政局のチャールズ・ケージスは、自衛のための戦争さえ禁じるのは行き過ぎだと考え、草案から「自衛権の放棄」を削除しました。この修正が、後に自衛隊が存在できる法的な隙間を生むことになります。民政局長のホイットニーは、この新憲法案を「原子の日光」と皮肉って日本側に提示し、受け入れを迫ったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

理想としては徹底した非武装を目指したものの、GHQ内部の実務レベルの修正によって、解釈次第で「自衛権」を行使できる余地が残されたということです。このわずかな文言の変更が、現在の自衛隊の存在や日本の安全保障論争におけるすべての根拠となっている点を見逃してはいけません。


アメリカの方針転換の兆し


── では、なぜアメリカの方針が変わったのか見ていきましょう。

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冷戦の影とマッカーサーの「焦り」

逆コース:冷戦の激化に伴い、占領政策の重点が非軍事化から経済復興と反共産主義へ転換した現象。
冷戦:第二次世界大戦後、アメリカを中心とする西側陣営とソ連を中心とする東側陣営が対立した構造。
アメリカ大統領選挙:マッカーサーが出馬を野心的に画策し、共和党内の反共的な批判をかわそうと意識した選挙。

民主化を強力に進めていたGHQの方針は、わずか数年で逆コースと呼ばれる正反対の方向へ舵を切ることになります。背景には、中国の共産化朝鮮戦争といった冷戦の激化がありました。日本を平和な「民主主義の実験場」から、アジアにおける「反共産主義の砦」へと早急に作り変える必要に迫られたためです。


さらに見逃せないのが、マッカーサー個人の野心です。彼はアメリカ大統領選挙への出馬を密かに目論んでおり、共和党内の保守派から「共産主義者に甘い」と批判されることを極端に恐れていました。自分の政治キャリアを守るためにも、日本国内の左翼勢力を厳しく取り締まる強い姿勢を示す必要があったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

単なる国際情勢の変化だけでなく、マッカーサー自身の個人的なアメリカ大統領選挙への出世欲も、政策転換の大きな要因だったということです。日本の民主化という崇高な理想は、当時のアメリカ国内の政治的な都合や冷戦の論理によって、あえなく優先順位を下げられてしまったと言えるでしょう。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


逆コースによる具体的な変化


── では、具体的に何が起きたのか確認しましょう。

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公職追放の転換と赤狩りの「実態」

二・一ゼネスト:インフレと生活苦にあえぐ労働者が計画したが、直前にマッカーサーの命令で中止された争議。
レッドパージ:当初は戦争協力者を対象とした公職追放が、共産主義者の排除へと標的を変えて実行された粛清。
岸信介:A級戦犯容疑者として逮捕されたが、逆コースの流れで釈放され後に首相となった保守派の政治家。

逆コースの影響は、労働運動への弾圧として顕著に現れました。1947年に計画された二・一ゼネストは、開始数時間前にマッカーサーによって禁止されました。当初は軍国主義者を排除していた公職追放も、レッドパージとして共産党員を標的にし始め、民主化のために用意された武器が左翼に向けられるようになったのです。


一方で、かつての戦争指導者たちへの追及は急速に緩みました。東京裁判が一段落すると、A級戦犯容疑者だった岸信介らが釈放され、堂々と政界への復帰を果たします。彼らは後に日本の保守政治の中枢を担うことになり、戦後日本の政治構造は、この「逆コース」によって決定づけられたと言っても過言ではありません。

🔍 つまりどういうこと?🔍

マッカーサーは共産主義の脅威に対抗するため、左翼の封じ込めと旧指導層などの右派の復権を同時に進めたということです。戦後の日本政治が保守優位の体制となった背景には、この時期に行われた占領政策の180度転換が、今もなお決定的な影響を与えている点に注目してください。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:上からの革命が遺した「緊張」

日本国憲法と戦後民主主義は、「上からの革命」としてアメリカにより強力に推し進められました。しかし、その理想的な方針は冷戦やマッカーサーの野心によって容易に覆され、逆コースという大きな歪みを生みました。今の日本社会に残る護憲と改憲の深い対立は、この時に埋め込まれた矛盾が根源にあるのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

自衛権の解釈は制定時の修正に由来
冷戦と米政治事情が逆コースの要因
公職追放の変質が戦後政治の基盤

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.憲法第9条は誰の発案ですか?

マッカーサーと幣原喜重郎の双方に説があり、議論が続いています。重要なのは、最終的にGHQ民政局が自衛権の余地を残す修正を行ったという事実です。

Q2.なぜ「逆コース」が起きたのですか?

中国の共産化や朝鮮戦争といった冷戦の激化が主な理由です。加えて、マッカーサーが大統領選出馬に向け、反共産主義の姿勢を示す必要があったことも影響しました。

Q3.この歴史から何を学ぶべきですか?

現在の政治体制が、占領下の「押し付け」と「政策転換」という緊張関係の中で生まれたことを理解することです。その起源を知ることで、憲法論議を深く捉えられます。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋この記事を書いた人🖋

Alex Kei(学び直し歴史ライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。
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