| 年号(時期) | 出来事名 |
|---|---|
| 1260年代〜 1300年代初頭 | 蝦夷の反乱(北海道) |
| 本州北部の安東氏とアイヌとの貿易関係の中で発生した一連の反乱。後のコシャマインの戦いへと繋がる緊張状態の背景となる。 | |
| 1400年代 | 琉球王国の統一 |
| 尚巴志が沖縄本島を統一し、海洋貿易のハブとして繁栄する王国を築く。中国の明王朝との朝貢貿易を通じて富を蓄積した。 | |
| 1455年 | コシャマインの戦い |
| 北海道南部でアイヌの首長コシャマインが率いた蜂起。安東氏は勝利したものの、「道南十二館」のうち10が焼失するなど大きな被害を受け、渡島半島への閉じこもりを余儀なくされた。 | |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い |
| 徳川家康が軍事的優位性を確立した決戦。この戦い以前に家康に味方した大名は「譜代」、それ以降に従った大名は「外様」として区別され、その後の幕府内の役職や権力構造の基礎となった。 | |
| 1600年代初頭 | 歌舞伎の誕生 |
| 出雲阿国によって創始された、派手で騒々しい演劇形式。当初は女性芸能人によるパフォーマンスだったが、風紀上の理由から後に幕府により禁止され、野郎歌舞伎(男性のみ)へと変化した。 | |
| 1609年 | 朝鮮との平和条約締結 |
| 徳川家康が朝鮮と条約を結び、秀吉の侵略による敵対関係を終了させた。対馬の宗氏を通じて貿易ネットワークが再構築された。 | |
| 1609年 | 薩摩藩による琉球侵攻 |
| 家康の承認のもと、島津氏(薩摩藩)が琉球王国へ侵攻。琉球は薩摩の朝貢国となると同時に、中国との朝貢関係も維持(二重朝貢)させられ、日本が中国製品を入手する裏ルートとなった。 | |
| 1614年 | キリスト教禁止令・宣教師追放 |
| 徳川家康がすべての宣教師の追放とキリスト教信仰の禁止を命じた。家康はキリスト教が政治的秩序を弱体化させ、植民地化の尖兵となることを懸念していた。 | |
| 1615年 | 武家諸法度の制定 |
| 大名を統制するための法律。城の新築禁止や一国一城令、参勤交代(後に制度化)などが含まれ、大名の軍事力と経済力を削ぐ目的があった。また、同年、大坂の陣により豊臣氏が滅亡。 | |
| 1616年 | 徳川家康の死去 |
| 徳川幕府の創設者が死去。彼は安定した政治的・社会的秩序を遺し、その後250年にわたる平和の基礎を築いた。 | |
| 1629年 | 女歌舞伎の禁止 |
| 出雲阿国に始まる女性による歌舞伎が、風紀を乱すとして幕府により禁止される。以降、男性のみの野郎歌舞伎が主流となる。 | |
| 1632年 | 天皇の御所外への外出禁止 |
| 天皇は災害時などを除き、京都御所の敷地内から出ることが法律で禁じられた(1863年まで継続)。天皇の政治的権力を制限し、象徴的な存在に留める政策の一環。 | |
| 1635年 | 鎖国令の強化 |
| 3代将軍徳川家光により、日本人の海外渡航と帰国の禁止、外洋船の建造禁止などが定められた。対外貿易は長崎(オランダ・中国)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)の4つの口に制限された。 | |
| 1637年 | 月桂冠(大倉家)の創業 |
| 大倉治右衛門によって創業された酒造業。江戸時代の商業と家業の発展を示す一例。 | |
| 1638年 | 島原の乱 |
| 九州島原で起きたキリシタン農民による反乱。鎮圧後、隠れキリシタンへの弾圧(踏み絵など)が強化され、鎖国体制が完成に向かった。 | |
| 1650年頃 | 江戸の人口が約45万人に |
| 参勤交代制度による需要や家臣団の集住により、江戸の人口が爆発的に増加。世界有数の大都市へと成長を始めた。 | |
| 1669年 | シャクシャインの戦い |
| 松前氏の不当な交易条件に対し、アイヌの首長シャクシャインが蜂起。約3万人のアイヌが結集したが、松前藩と幕府の援軍により鎮圧され、以降アイヌへの支配が強化された。 | |
| 1688年〜 1704年 | 元禄時代 |
| 徳川時代の黄金期。経済的繁栄を背景に、浮世絵や歌舞伎、俳諧などの町人文化が花開いた。しかし、同時に武士階級の経済的困窮や社会矛盾の萌芽も見え始めた時期でもある。 | |
| 1691年〜 1692年 | ケンペルの江戸参府 |
| オランダ商館付医師エンゲルベルト・ケンペルが江戸で5代将軍綱吉に謁見。将軍の好奇心により、歌や踊り、ヨーロッパの風習などを演じさせられた記録が残っている。 | |
| 1701年 | 赤穂事件(松の廊下の刃傷) |
| 江戸城にて浅野内匠頭が吉良上野介を切りつける事件が発生。浅野は即日切腹、赤穂藩は改易となるが、吉良はお咎めなしとされ、後の仇討ちの原因となった。 | |
| 1703年 | 赤穂浪士の討ち入り |
| 大石内蔵助率いる47人の浪士が吉良邸を襲撃し、主君の仇を討つ。幕府の裁定により彼らは切腹を命じられたが、武士の忠義と法秩序の対立を示す象徴的な事件となった。 | |
| 1719年 | 朝鮮通信使の来日 |
| 徳川吉宗の就任祝いのため来日。製述官の申維翰(シン・ユハン)は、雨森芳洲との対話や日本の繁栄ぶりを記録に残した。 | |
| 1720年頃 | 江戸の人口が約120万人に |
| 当時のロンドン(約57万人)を凌ぐ世界最大級の都市となる。この頃から日本の人口増加は横ばいとなる。 | |
| 1764年 | 中山道伝馬騒動 |
| 助郷(輸送の労役)の負担増に抗議し、約10万人の農民が大規模な一揆を起こした。幕府は武力で鎮圧した。 | |
| 1774年 | 『解体新書』出版 |
| 杉田玄白らがオランダ語の解剖学書を翻訳・出版。西洋医学・技術が日本へ浸透する重要な契機となった。 | |
| 1792年 | ラクスマンの来航 |
| ロシア使節アダム・ラクスマンが根室(北海道)に来航し通商を要求。幕府の外交政策に対する最初の深刻な脅威となった。 | |
| 1808年 | フェートン号事件 |
| イギリス軍艦フェートン号がオランダ船を追って長崎に不法侵入し、薪水を強要した事件。日本の沿岸防衛の脆弱性が露呈し、後の「異国船打払令」強化のきっかけとなった。 | |
| 1837年 | モリソン号事件 |
| アメリカ商船モリソン号が日本人漂流民返還と通商交渉のために来航したが、幕府の砲撃により撃退された。 | |
| 1842年 | アヘン戦争の情報の到達 |
| 清国がイギリスに敗北したニュースが日本に届く。西洋の軍事的優位性が明らかとなり、幕府は強硬な打払令の再考を迫られた。 | |
| 1846年 | ビドルの来航 |
| アメリカのジェームズ・ビドル提督が浦賀に来航し通商を求めたが、強制力を持たなかったため幕府に拒絶された。 | |
| 1853年 | ペリー来航(黒船来航) |
| マシュー・ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航。開国を求める大統領親書を渡し、翌年の再来航を告げた。この時、将軍家慶は危篤状態にあり、幕府は混乱に陥った。 | |
| 1854年 | 日米和親条約(神奈川条約) |
| ペリーが再来航し、条約を締結。下田と箱館が開港され、日本は鎖国政策を放棄した。 | |
| 1858年 | 日米修好通商条約(ハリス条約) |
| 総領事タウンゼント・ハリスとの間で結ばれた不平等条約。関税自主権の欠如、治外法権、追加の開港(特に兵庫)が含まれ、国内の尊王攘夷運動を激化させた。 | |
| 1858年〜 1859年 | 安政の大獄 |
| 大老・井伊直弼による弾圧。条約締結や将軍継嗣問題に反対する大名、公家、志士(吉田松陰ら)が処罰・処刑された。 | |
| 1860年 | 桜田門外の変 |
| 井伊直弼が水戸浪士らによって江戸城桜田門外で暗殺された事件。幕府の権威失墜と尊王攘夷運動の過激化を招いた。 | |
| 1861年 | 和宮降嫁(公武合体) |
| 孝明天皇の妹、和宮が将軍徳川家茂と結婚。幕府と朝廷の結びつきを強める「公武合体」策の一環だったが、尊王派の反発も招いた。 | |
| 1862年 | 生麦事件 |
| 薩摩藩主の父・島津久光の行列を横切ったイギリス人が殺傷された事件。イギリスとの外交問題に発展し、後の薩英戦争の原因となった。 | |
| 1863年 | 将軍家茂の上洛と攘夷実行の約束 |
| 徳川家茂が将軍として200年以上ぶりに京都へ上洛。朝廷の圧力により、実現不可能な「攘夷(外国人の追放)」の期日を約束させられた。 | |
| 1863年 | 薩英戦争・下関戦争 |
| 薩摩藩はイギリス艦隊と交戦(薩英戦争)、長州藩は外国船を砲撃し報復を受ける(下関戦争)。両藩ともに西洋の軍事力を痛感し、攘夷の不可能性を悟る契機となった。 | |
| 1863年 | 八月十八日の政変 |
| 会津藩と薩摩藩が協力し、長州藩や過激な尊王攘夷派公家(三条実美ら)を京都から追放したクーデター。 | |
| 1864年 | 禁門の変(蛤御門の変)と第一次長州征伐 |
| 長州藩が京都での復権を目指して挙兵するも敗北(禁門の変)。これを受け幕府は長州への懲罰遠征を行い、長州藩は降伏して保守派政権が成立した。 | |
| 1865年 | 高杉晋作の挙兵(功山寺挙兵) |
| 長州藩内で高杉晋作ら尊王派が奇兵隊を率いてクーデターを起こし、保守派政権を打倒。再び倒幕路線へと舵を切った。 | |
| 1866年 | 薩長同盟の締結 |
| 坂本龍馬の仲介により、対立していた薩摩藩と長州藩が秘密裏に同盟を結ぶ。薩摩が長州征伐への参加を拒否し、倒幕への流れが決定的となった。 | |
| 1866年 | 第二次長州征伐の失敗と家茂の死 |
| 幕府軍が長州藩に敗北し、軍事的権威が失墜。遠征中に将軍家茂が大坂城で病死し、徳川慶喜が第15代将軍に就任した。 | |
| 1867年1月 | 孝明天皇の崩御 |
| 保守的で幕府存続を望んでいた孝明天皇が急死(暗殺説あり)。若き明治天皇が即位し、倒幕派にとって有利な状況が生まれた。 | |
| 1867年11月 | 大政奉還 |
| 徳川慶喜が政権を朝廷に返還。慶喜は新体制下での実質的な権力維持を画策したが、薩摩・長州を中心とする倒幕派はそれを許さなかった。 | |
| 1868年1月 | 王政復古の大号令と鳥羽・伏見の戦い |
| 新政府の樹立宣言と慶喜への領地返納命令(辞官納地)。これに反発した旧幕府軍と新政府軍が衝突し(鳥羽・伏見の戦い)、新政府軍が勝利。戊辰戦争が始まり、徳川幕府は完全に崩壊した。 | |
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