| 年号(時期) | 出来事名 |
|---|---|
| 1835年 | 福沢諭吉の誕生 |
| 現在の大坂(中津藩の蔵屋敷)近くで、後に明治時代の主要な知的指導者となる福沢諭吉が生まれる。 | |
| 1858年 | 日米修好通商条約(ハリス条約) |
| 不平等条約のモデルとなる条約。1872年7月4日以降に条件を再交渉できる条項が含まれていた。 | |
| 1860年 | 初の海外外交使節団と貿易開始 |
| 不平等条約批准のため、日本初の海外外交使節団(咸臨丸参加)が派遣された。開かれた貿易の最初の通年であり、470万ドルの輸出に対し170万ドルの輸入があった。 | |
| 1860年代半ば | 生糸輸出による経済変動 |
| 生糸の約50%が輸出され、国内価格が高騰。京都などで織物業者が材料を買えず大量失業や暴動の懸念が生じた。また、インフレにより大坂の日雇い労働者の実質賃金が半減するなど経済的混乱が起きた。 | |
| 1868年 | 明治維新と五箇条の御誓文 |
| 将軍が敗北し、明治天皇の政治的権力が(表向き)回復される「王政復古」が行われた。4月には新政権の原則宣言である「五箇条の御誓文」が出され、「広ク会議ヲ興シ万機公論二決スベシ」と宣言された。 | |
| 明治初期 (1868年~) | 神仏分離と廃仏毀釈 |
| 新政府の最初の布告の一つとして神仏分離が行われ、神道と仏教が分離された。これに伴い、仏像や寺院の破壊(廃仏毀釈)が暗黙のうちに支持された。 | |
| 1869年 | 北海道の正式併合 |
| 北海道が正式に併合され、開拓使が設置されて入植者が送り込まれた。 | |
| 1871年 | 廃藩置県、岩倉使節団、断髪令 |
| 藩を廃止し、中央任命の知事が運営する県システムへ移行(廃藩置県)。岩倉具視を特命全権大使とする岩倉使節団が条約改正交渉のために出発。また、断髪令が出され、帯刀が任意とされた。工業化がある程度本格的に始まった時期でもある。 | |
| 1872年 | 神祇官の格下げ |
| 宗教問題を管轄していた神祇官が文部省に統合・格下げされ、大教宣布運動などが事実上失敗に終わった。平田鐵胤ら国学者が追放された。 | |
| 1873年 | 明治六年の政変(征韓論論争) |
| 朝鮮に対する攻撃的な外交政策(征韓論)を支持した板垣退助や西郷隆盛らが、政府内の対立により下野した。 | |
| 1874年 | 不平士族の反乱(佐賀の乱など) |
| 2月から肥前(佐賀の乱)、長州(神風連の乱・萩の乱)、秋月(秋月の乱)などで元侍による反乱が相次いで発生した。 | |
| 1876年 | 廃刀令、秩禄処分、日朝修好条規 |
| 帯刀が禁止され(廃刀令)、侍の俸禄が廃止され一時金(金録公債)に置き換えられた(秩禄処分)。対外的には、海軍力を用いて朝鮮に不平等条約(日朝修好条規)を締結させた。 | |
| 1877年 | 西南戦争 |
| 西郷隆盛率いる薩摩の士族による最大規模の反乱が発生したが、徴兵制による帝国陸軍に鎮圧された。 | |
| 1878年 | 大久保利通の暗殺 |
| 西洋化推進派の指導者であった大久保利通が、不満を持つ侍によって暗殺された(紀尾井坂の変)。 | |
| 1879年 | 琉球処分 |
| 琉球王国が正式に併合され、沖縄県となった。 | |
| 1880年 | 貿易赤字とインフレのピーク |
| 貿易赤字が7700万延に達し、近代インフラ建設のための負債と紙幣増刷によりインフレが深刻化した。 | |
| 1881年 | 明治十四年の政変 |
| 伊藤博文が大隈重信を開拓使官有物払下げ事件などのスキャンダルを利用して失脚させ、政府内から自由主義的な憲法案を排除した。 | |
| 1880年代前半 | 松方デフレと官営事業払下げ |
| 松方正義による財政緊縮策によりインフレは収束したが、深刻なデフレ不況を招いた(松方デフレ)。また、非軍事産業の民営化(官営事業払下げ)が行われ、後の財閥の基礎となった。自由民権運動や地租改正反対一揆もこの時期に激化した。 | |
| 1882年 | 板垣退助遭難事件 |
| 4月、岐阜市での集会中に板垣退助が襲撃された。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉で知られる(ただし後世の創作の可能性あり)。 | |
| 1883年 | 鹿鳴館の建設 |
| 井上馨の発案により、西洋の外交官を接待し文明国であることを示す目的で建設された。 | |
| 1884年 | 甲申事変(朝鮮) |
| 朝鮮での親日的なクーデターの試みだったが失敗した。これにより日本が朝鮮支配権を握る試みが一時頓挫した。 | |
| 1885年 | 岩倉具視の死 |
| 岩倉使節団を率いた岩倉具視が死去。 | |
| 1889年 | 大日本帝国憲法の発布 |
| ドイツ(プロイセン)モデルを反映した憲法が発布された。同日、西洋化推進派の文部大臣・森有礼が暗殺された。 | |
| 1890年 | 憲法施行と帝国議会の開設 |
| 憲法が施行され、最初の選出された衆議院を持つ帝国議会が開かれた。 | |
| 1894年 | 東学党の乱と日清戦争勃発 |
| 朝鮮で農民反乱(東学党の乱・甲午農民戦争)が発生し、これを機に日清両国が出兵。7月25日、日本は天津条約違反を口実に宣戦布告し、日清戦争が始まった。 | |
| 1895年 | 日清戦争終結と三国干渉 |
| 4月に日本の圧倒的勝利で戦争が終結。台湾と遼東半島を獲得したが、ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉で遼東半島の返還を余儀なくされた。 | |
| 1899年 | 北海道旧土人保護法 |
| アイヌ先住民に対し、アメリカの居留地システムをモデルにした非同化的な法律が制定された(1997年まで存続)。 | |
| 1900年 | 義和団の乱と立憲政友会の結成 |
| 中国での義和団の乱鎮圧に日本も参加。国内では伊藤博文が親政府政党「立憲政友会」を結成した。 | |
| 1901年 | 八幡製鉄所の設立 |
| 防衛上の理由から財政的支援を受け、国内初の製鉄所が設立された。 | |
| 1902年 | 日英同盟 |
| 日本にとって初の海外同盟。ロシアとの戦争が1対1になることを保証した。 | |
| 1904年 | 日露戦争勃発 |
| 2月、御前会議で攻撃が決定され、旅順港への奇襲攻撃と共に日露戦争が始まった。 | |
| 1905年 | 日露戦争終結と日比谷焼打事件 |
| 旅順陥落(1月)、日本海海戦での勝利(5月)を経て、ポーツマス条約で戦争終結。賠償金が得られなかったことに対する不満から、東京で日比谷焼打事件(9月)が発生した。夏目漱石『吾輩は猫である』の連載も開始。 | |
| 1909年 | 伊藤博文の暗殺 |
| 朝鮮のナショナリスト安重根によって伊藤博文が暗殺された。 | |
| 1910年 | 韓国併合 |
| 朝鮮が正式に日本帝国に併合され、植民地化が進んだ。 | |
| 1912年 | 明治天皇の崩御と大正時代の始まり |
| 明治天皇が崩御し、大正天皇が即位した。 | |
| 1914年 | シーメンス事件と第一次世界大戦参戦 |
| 1月、海軍の汚職スキャンダル(シーメンス事件)が発覚し、山本内閣が倒れた。秋には日英同盟に基づき第一次世界大戦に参戦し、青島や南洋諸島を占領した。 | |
| 1918年 | 米騒動と原敬内閣の成立 |
| 米価高騰により富山県から全国へ暴動が波及(米騒動)し、寺内内閣が総辞職した。その後、平民宰相と呼ばれる原敬が首相に任命され、本格的な政党内閣が誕生した。シベリア出兵の備蓄も米価高騰の一因であった。 | |
| 1919年 | パリ講和会議と三・一運動 |
| ヴェルサイユでの講和会議で日本は五大国の一つとして認められた。朝鮮では民族自決を求める三・一運動が発生し、激しい弾圧が行われた。 | |
| 1921年 | 原敬暗殺事件 |
| 東京駅で原敬首相が右翼によって暗殺された。 | |
| 1922年 | 山縣有朋の死 |
| 明治の寡頭政治の最長老、山縣有朋が死去し、古い指導者層の影響力が低下した。 | |
| 1924年 | 第二次護憲運動 |
| 非政党内閣である清浦奎吾内閣に対し、政党が結束して反対運動を行い、退陣に追い込んだ。以降、「憲政の常道」として第一党党首が首相になる慣例が定着した。 | |
| 1925年 | 普通選挙法と治安維持法 |
| 25歳以上の全男性に投票権を与える普通選挙法が成立した。一方で、左翼運動を取り締まる治安維持法も制定された。 | |
| 1926年 | 大正天皇の崩御 |
| 大正天皇が崩御し、大正時代が終了した。 | |
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