| 年号(時期) | 出来事名 |
|---|---|
| 縄文時代 | 狩猟・採集社会の形成 |
| 日本列島が大陸から分離。人々は定住せず、狩猟・採集を中心とした生活を送っていたため、貧富の差や大規模な争いはほとんど見られなかった。縄文人は彫りの深い顔立ちが特徴とされる。 | |
| 弥生時代 | 稲作の伝来と階級社会の発生 |
| 大陸から渡来人が稲作技術をもたらす。食料の貯蔵が可能になったことで富の蓄積が生じ、貧富の格差とそれを巡る争いが始まった。当時の日本の様子は、中国の歴史書(『漢書』地理志など)に「倭国」として記述されている。 | |
| 3世紀前半 (魏の時代) | 邪馬台国の繁栄と卑弥呼 |
| 『魏志』倭人伝に記述が残る。女王・卑弥呼がシャーマニズム(鬼道)を用いた政治を行い、魏に使いを送った。所在地については九州説と近畿説の論争が続いている。卑弥呼の死後、宗女の壱与(豊与)が跡を継ぎ、晋へ遣使したのを最後に記録が途絶える。 | |
| 古墳時代 | ヤマト王権(大和政権)の成立 |
| 全国的に統一された規格の巨大な墓(古墳)が造営される。これは広範囲を支配する強力な連合政権が成立したことを示唆するが、成立の過程や邪馬台国との関連性は不明確である。 | |
| 6世紀末〜 7世紀初頭 | 崇仏論争と遣隋使の派遣 |
| 大陸の先進的な統治システムを取り入れるため、仏教受容を推進した蘇我氏(崇仏派)が、古来の神道を重視する物部氏(排仏派)に勝利。推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子による政治体制が確立する。小野妹子が隋に派遣され、対等な外交関係を求めた国書を提出した。 | |
| 645年 | 大化の改新(乙巳の変) |
| 中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足らが蘇我氏を滅ぼす。日本初の元号「大化」を制定。豪族が個別に支配していた土地と人民を国家が直接管理する「公地公民制」への転換を目指した。 | |
| 672年 | 壬申の乱 |
| 天智天皇の後継を巡り、弟の大海人皇子と息子の大友皇子が争った古代最大の内乱。勝利した大海人皇子は天武天皇として即位し、中央集権体制を強化。国号を「日本」と定め、『古事記』『日本書紀』の編纂を命じた。 | |
| 710年〜 (奈良時代) | 平城京遷都と鎮護国家思想 |
| 仏教の力で国家の安定を図る「鎮護国家」政策が推進され、東大寺大仏などが建立された。しかし、僧侶の道鏡が皇位を狙うなど仏教勢力の政治介入を招き、朝廷内の権力闘争が激化した。 | |
| 743年 | 墾田永年私財法の制定 |
| 重税による農民の逃亡で公地公民制が維持困難となり、開墾した土地の永久私有が認められた。これにより貴族や寺社による私有地(荘園)が拡大し、土地を防衛するための武装集団として「武士」が発生する要因となった。 | |
| 794年 (平安時代初期) | 平安京遷都と軍事・宗教改革 |
| 桓武天皇が政治から旧仏教勢力を排除するため平安京へ遷都。最澄・空海による密教を保護した。また、東北地方の蝦夷を平定するため、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、阿弖流為(アテルイ)率いる蝦夷軍と戦わせた(三十八年戦争)。 | |
| 939年 | 平将門の乱 |
| 関東で勢力を拡大した平将門が「新皇」を自称し、独立政権の樹立を試みた反乱。鎮圧されたものの、武士の実力が中央に認識される契機となった。 | |
| 11世紀前半 (平安中期) | 摂関政治の全盛 |
| 藤原氏が娘を天皇の后とし、外戚(母方の実家)として権力を独占。藤原道長の時代に最盛期を迎えた。 | |
| 11世紀末〜 (平安後期) | 院政の開始と平氏の台頭 |
| 白河上皇が天皇譲位後も「院」として実権を握る院政を開始。警護のために直属の「北面の武士」を組織したことで武士の中央進出が進み、平清盛による平氏政権樹立へと繋がった。 | |
| 1185年頃 | 鎌倉幕府の成立 |
| 源頼朝が平氏を打倒し、最初の本格的な武家政権を樹立。弟の源義経との対立を経て権力を固めたが、頼朝の死後、実権は北条氏(執権)へと移っていった。 | |
| 1221年 | 承久の乱 |
| 朝廷権力の回復を目指す後鳥羽上皇が挙兵。北条政子が御家人たちに「頼朝の恩」を説く演説を行い、結束した幕府軍が朝廷軍を破った。これにより幕府の支配権は西日本や朝廷へも及ぶようになった。 | |
| 1232年 | 御成敗式目の制定 |
| 3代執権・北条泰時が制定した、武士による武士のための最初の法典。土地紛争などの裁判基準を明確化した。 | |
| 13世紀中頃〜 | 鎌倉新仏教の展開 |
| 厳しい修行を必要とせず、念仏や座禅によって庶民も救済されるとする新しい仏教が興る。法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)、日蓮(日蓮宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)らが活動した。 | |
| 1274年・1281年 | 元寇(文永・弘安の役) |
| フビライ・ハン率いるモンゴル帝国が襲来。集団戦法や火器(てつはう)に苦戦したが、暴風雨などの影響により撃退。しかし、防衛戦であったため御家人への恩賞(土地)が不足し、幕府への不満が高まった。 | |
| 1333年〜 | 鎌倉幕府滅亡と建武の新政 |
| 後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利尊氏、新田義貞、楠木正成らが鎌倉幕府を倒す。後醍醐天皇による天皇親政(建武の新政)が始まったが、武士層の利益を軽視したため短期間で瓦解した。 | |
| 1336年〜1392年 | 南北朝の動乱 |
| 離反した足利尊氏が擁立した北朝と、吉野へ逃れた後醍醐天皇の南朝が並立し、全国的な内乱が約60年間続いた。後に3代将軍・足利義満によって統一された。 | |
| 14世紀末〜 (室町中期) | 室町幕府の全盛と北山文化 |
| 足利義満が明との国交を樹立し、倭寇取締りを条件に勘合貿易(日明貿易)を開始。経済的繁栄を背景に、公家文化と武家文化が融合した北山文化(金閣寺、能楽など)が栄えた。 | |
| 1467年 | 応仁の乱 |
| 8代将軍・足利義政の後継問題を巡り、妻の日野富子や有力守護大名(細川氏・山名氏)の思惑が絡んで勃発した大乱。京都が荒廃し、幕府の権威が失墜。戦国時代への引き金となった。 | |
| 15世紀末〜16世紀 (戦国時代) | 下剋上の風潮と自治組織の発生 |
| 実力のある者が上の身分を倒す「下剋上」が横行。一方で、農民による自治組織「惣」の形成や土一揆、商人による自治都市(堺など)の発展など、民衆勢力も台頭した。 | |
| 16世紀後半 | 織田信長の天下布武 |
| 鉄砲の大量運用や兵農分離(傭兵化)による軍事革新を推進。比叡山焼き討ちなどの宗教勢力弾圧や、実力主義による人材登用を行い、旧来の権威・体制を破壊した。1582年、本能寺の変で明智光秀に討たれる。 | |
| 16世紀末 | 豊臣秀吉の全国統一 |
| 信長の死後、迅速な対応(中国大返し)と根回し(清洲会議)で主導権を掌握。関白・太政大臣として朝廷の権威を利用し、惣無事令などで全国の大名を従属させた。晩年の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は失敗に終わった。 | |
| 1600年 | 関ヶ原の戦い |
| 徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。家康による事前の調略(手紙作戦)が功を奏し、小早川秀秋らの裏切りによって東軍が勝利。天下の覇権を決定づけた。 | |
| 1615年 | 大坂の陣(夏) |
| 方広寺鐘銘事件を口実に徳川方が豊臣方を攻撃。真田信繁(幸村)らの抵抗があったものの豊臣氏は滅亡。元和偃武(戦国の終わり)となる。 | |
| 江戸初期 (1〜3代将軍) | 武断政治と幕藩体制の確立 |
| 大名に対し、参勤交代や一国一城令、武家諸法度による改易・転封など厳しい統制を行った。農民には田畑永代売買禁止令や五人組制度を導入し、土地の集積を防ぎつつ管理を徹底した。 | |
| 江戸中期 (4代将軍以降) | 文治政治への転換 |
| 牢人による反乱(由井正雪の乱)などを機に、力による支配から儒学(朱子学)に基づく徳による支配へ移行。「忠義」の道徳が広まり、赤穂浪士の討ち入りなどが美談とされた。 | |
| 18世紀〜 (江戸後期) | 幕府財政の悪化と三大改革 |
| 財政難に対し、徳川吉宗による享保の改革(引き締め)などが行われた。その後、11代将軍家斉の大御所時代には放漫財政となり、幕府の統制力が弱体化した。 | |
| 1853年 | ペリー来航 |
| アメリカのペリー提督が来航し開国を要求。捕鯨船の補給地確保が主目的だった。幕府の対応が二転三転し、権威が大きく揺らぐ。 | |
| 1867年 | 大政奉還と王政復古の大号令 |
| 15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、倒幕の名目を消滅させようと図る。これに対し薩摩・長州を中心とする倒幕派は「王政復古の大号令」を発し、徳川家を新政府から排除した。 | |
| 1868年〜1869年 | 戊辰戦争 |
| 鳥羽・伏見の戦いに始まる新政府軍と旧幕府軍の内戦。上野、会津、箱館(五稜郭)へと戦火が拡大。イギリスの支援を受けた新政府軍が近代兵器で勝利し、明治政府の権力が確立された。 | |
| 明治初期 | 明治維新と中央集権化 |
| 廃藩置県(地方統治の中央化)、廃刀令(武士の特権廃止)、徴兵令(国民皆兵)などの改革を断行。欧米列強に対抗できる近代国家建設を目指した。 | |
| 1877年 | 西南戦争 |
| 特権を奪われた士族(旧武士)の不満が爆発し、西郷隆盛を擁して挙兵。政府軍に敗北し、武力による反乱の時代が終わる。 | |
| 19世紀末 | 立憲国家への歩みと日清・日露戦争 |
| 大日本帝国憲法制定により法治国家体制を整備。朝鮮半島とロシアの南下政策を巡り、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)が勃発。日英同盟を背景に勝利し、国際的地位を向上させた。 | |
| 1914年〜1918年 | 第一次世界大戦と大戦景気 |
| 日英同盟に基づき連合国側で参戦。欧州が主戦場だったため、アジア市場での輸出拡大により日本経済は空前の好景気(特需)となった。 | |
| 1920年〜1930年 | 昭和恐慌(経済危機) |
| 戦後恐慌、震災恐慌(関東大震災)、金融恐慌、世界恐慌が立て続けに発生。政党政治への不信感が高まり、事態打開を軍部に期待する世論が形成された。 | |
| 1931年〜 | 軍部の台頭と日中戦争 |
| 満州事変、五・一五事件、二・二六事件を経て軍部が政治的主導権を握る。1937年から日中戦争が本格化し、これに対する米英などの経済制裁(ABCD包囲網)により日本は孤立を深めた。 | |
| 1941年〜1945年 | 太平洋戦争 |
| 経済封鎖打破のため真珠湾攻撃を行い開戦。初期は優勢だったがミッドウェー海戦以降劣勢となり、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を経て敗戦した。 | |
| 1945年〜 (戦後) | 占領統治と高度経済成長 |
| GHQによる間接統治の下、民主化や財閥解体が進められた。しかし朝鮮戦争の勃発により米国の方針が転換し、日本は西側陣営に組み込まれる。朝鮮戦争特需を契機に日本経済は復興し、高度経済成長へと繋がった。 | |
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