大政奉還から明治維新までの流れをやさしく整理|5分de探究⑩

日本史一気読み

以下の記事もあわせて読むと、テーマの背景と流れがより整理できます。

【5分de探究】テクノロジー一発で侍の時代は終わったのか?

江戸時代の終わりは、静かな政権交代ではありませんでした。大政奉還から戊辰戦争、西南戦争までを通して、日本がどのように侍の時代を終わらせたのかをたどります。

本記事では、大政奉還と王政復古の駆け引き、戊辰戦争の広がり、廃藩置県・廃刀令・徴兵令という明治政府の大改革、そして西南戦争までの流れを一つの物語として整理します。読み終えるころには、「近代化とは何を守り、何を手放す選択だったのか」が見えてきます。

江戸から明治への移行は、「古い秩序が優しく終わる物語」ではありませんでした。政権の返上、内戦、制度の再設計、そして侍たちの蜂起が、わずか数十年のあいだに一気に押し寄せた激動のプロセスです。本記事では、その流れをテクノロジーと中央集権化という二つの軸から整理し、現代の変化を見るための視点として活用できるように解説します。

この記事はどんな本を参考にしてる?

政権を返しても権力は手放さない

大政奉還:将軍が政治の実権を朝廷に返上すること。
王政復古の大号令:天皇中心の新政府開始を宣言した政治方針。
威信:権力者が周囲から当然のように認められている信頼や権威。

幕末の日本では、外国船への対応が撫恤令異国船打払令のあいだで揺れ動きました。もてなすのか、追い払うのかという方針転換の繰り返しは、徳川幕府の威信を大きく傷つけました。そこで将軍・徳川慶喜は、大政奉還によって自ら政権を朝廷に返します。しかし、それは単なる降参ではなく、「先に頭を下げることで新政府でも徳川家が主導権を維持する」というしたたかな一手でした。これに対し、薩摩や長州の勢力は、王政復古の大号令を発して徳川家を新政府から外し、天皇を中心とした新しい政治体制を自分たちの主導で作ろうとしました。

こうした駆け引きからわかるのは、政権を返上してもすぐに力を失うとは限らないという点です。形の上では大政奉還で権力を手放しつつ、裏では影響力を残そうとする動きがあり、それに対し新勢力が王政復古の大号令で押し返しました。現代の組織でも、肩書が変わっても実質的な影響力を持ち続ける人がいるように、表と裏の権力の動き方を意識すると歴史の見え方が変わります。

つまりどういうこと?
江戸から明治への移行は、「徳川が負けて新政府が勝った」という単純な話ではありません。徳川側は大政奉還によって批判の矢面から下がりつつ、新政府の中で影響力を保とうとしました。一方、薩摩や長州は王政復古の大号令によって、その目論見を打ち砕き、徳川家を政治の中心から外そうとしました。職場でも、役職の交代や組織改編のときに、名刺の肩書きだけでなく「誰が本当に決めているのか」を意識すると、決定の背景が読みやすくなります。歴史を学ぶと、こうした表と裏の権力交代のパターンを、日常の場面にも応用できるようになります。

内戦の地図で近代国家の輪郭を見る

戊辰戦争:新政府軍と旧幕府軍が全国で戦った内戦。
鳥羽・伏見の戦い:京都周辺で起きた戊辰戦争の最初期の戦闘。
箱館戦争:五稜郭を舞台に北海道で行われた戊辰戦争の最終局面。

王政復古の大号令のあと、日本はすぐに平和になったわけではありませんでした。京都周辺で始まった鳥羽・伏見の戦いから、上野戦争、会津戦争、東北戦争、そして北海道の箱館戦争へと、全国規模の内戦である戊辰戦争が続きます。旧幕府側は人数では優位だったとされますが、新政府軍はイギリスの支援による新式装備と近代的な軍隊運用でこれを押し切りました。刀や槍を中心とした侍の戦い方に、近代的な銃や大砲、軍隊組織がぶつかった結果、京都から北海道まで新政府軍が制圧し、明治政府の基盤が固まりました。

戊辰戦争の行方を決めたのは、必ずしも忠義心や気合だけではなく、テクノロジーと組織の差でした。これは、人数や情熱だけでは成果が出にくい現代の仕事にも通じます。最新のツールや仕組みを取り入れたチームが、従来のやり方にこだわるチームを上回ることがあるように、戦場の地図からは「どの地域が、どのタイミングで新しい仕組みに切り替わったのか」という視点を読み取ることができます。

つまりどういうこと?
戊辰戦争を「新政府軍と旧幕府軍の戦い」とだけ見ると、勝敗は精神論で決まったように見えてしまいます。しかし、実際にはイギリスの支援を受けた新政府軍のテクノロジーと軍隊組織が、旧来の戦い方を大きく上回りました。京都から会津、東北、北海道へと広がる戦線を地図で追うと、「どこで近代的な軍隊が優勢になったか」がはっきりしてきます。これは、仕事や生活で新しい仕組みを取り入れるとき、「どの領域から変えていくと全体が動きやすいか」を考えるヒントにもなります。歴史の内戦地図は、変化を広げる順番を学ぶための一枚のモデル図として使えるのです。

特権を手放す改革が国を変える

廃藩置県:各藩を廃止し、中央政府が管理する県に再編した改革。
廃刀令:武士の象徴だった帯刀を禁じた法令。
徴兵令:身分に関わらず国民が兵役につく制度。

明治政府は、勝利が固まるとすぐに廃藩置県を実施し、各藩が握っていた土地と支配権を中央政府に引き取りました。これは、古代の公地公民制や、中国の始皇帝による郡県制と似た中央集権化の大転換でした。同時に、廃刀令によって武士だけが刀を帯びる特権を無くし、徴兵令によって身分に関わらず国民が兵士として動員される仕組みを整えました。結果として、地域ごとの武士団ではなく、「日本という国の軍隊」が形成され、国内のまとまり方そのものが塗り替えられていきました。

しかし、この急激な改革は、多くの武士から見れば生活の土台を奪われる出来事でもありました。特権を失い、収入も不安定になった人々の不満はやがて西南戦争へとつながります。近代化を進める側にとっては生き残りのための合理的な選択であっても、既存の秩序の中で生きてきた人にとっては、誇りや居場所を失う体験になり得ます。このギャップに目を向けると、「正しい改革」が必ずしも全員にとって幸せな変化ではないことが見えてきます。

つまりどういうこと?
明治政府の廃藩置県・廃刀令・徴兵令は、日本を欧米列強に対抗できる近代国家にするための、大胆で一貫した政策でした。一方で、それは何世代にもわたって続いてきた武士という身分と、その象徴である刀を奪う決断でもありました。西南戦争は、「近代化」という正義と、「これまでの生き方を守りたい」という正義が正面からぶつかった結果です。現代でも、大きな制度改革や技術導入の裏には、得をする人と居場所を失う人が必ず存在します。歴史を知ることで、自分がどちらの立場に立っているのか、またどちらの声も意識しながら変化に向き合えているのかを見直すきっかけになります。

変化のスピードより「何を守るか」で歴史を見る

大政奉還から王政復古の大号令、戊辰戦争、廃藩置県・廃刀令・徴兵令、西南戦争までを並べてみると、日本はわずかな期間で政治の中心・軍事の仕組み・身分制度を総入れ替えしたことがわかります。そこには、「列強と肩を並べたい」「国を守りたい」という近代化の焦りと、「侍としての誇りや地域の自治を守りたい」という感情が同時に存在しました。歴史を学ぶ意味は、単に出来事の順番を覚えることではなく、変化のたびに何を優先し、何を手放してきたのかを知ることにあります。その視点を持つと、現在の仕事や社会の変化も、少し落ち着いて眺められるようになります。

政権交代の裏にある駆け引きを想像する
テクノロジーと組織の差が結果を左右する場面を探す
変化で失われる側の感情にも意識を向ける

以上が本記事から得られる学びです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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