大化の改新と壬申の乱・古事記で日本のはじまりをやさしく整理|5分de探究②

日本史一気読み

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卑弥呼と邪馬台国・古事記でたどる古代日本をやさしく解説|5分de探究①
稲作の始まりから卑弥呼、古事記の神話まで、日本という国が形になるまでの流れを、争いと交渉と物語の視点からやさしくたどります。教科書が苦手だった人でも、古代史の全体像が一気につかめます。 縄文と弥生のちがい、邪馬台国と古墳の謎、大化の改新や壬申の乱、古事記の国譲り神話、そして「日出ずる処の天子」の国書までを一本のストーリーとして眺めます。年号暗記では見えなかった、日本の始まりのダイナミックさを大人の目線で整理します。
【5分de探究】大化の改新と古事記で日本という国のかたちが見えてくる!

大化の改新から古事記の神話、そして「日出づる処の天子」の国書までをつなげて読むことで、日本が「日本」と名乗り始めた流れをコンパクトにたどります。

本記事では、大化の改新公地公民制、皇位継承争いから生まれた壬申の乱、さらに古事記・日本書紀の編纂と神話、外交で使われた「日出づる処の天子」という言葉までを一本のストーリーとして整理します。

日本史の教科書では、大化の改新、壬申の乱、古事記、日本書紀、神話、外交文書といった項目がばらばらに並びます。

しかし、それらを「権力のルールづくり」と「物語づくり」と「対外アピール」という三つの視点でまとめて眺めると、古代の人びとがどのようにして「日本」という国のかたちを組み立てていったのかが、ぐっと立体的に見えてきます。

この記事はどんな本を参考にしてる?

大化の改新は日本が「自分のルール」をつくろうとした瞬間

大化の改新:天皇中心の統治をめざした政治改革。
公地公民制:土地と人民を国家のものとする仕組み。
中央集権:権力を一か所に集めて統一的に支配する体制。

古代の日本では、長いあいだ豪族がそれぞれの地盤で土地と人を思いどおりに支配していました。その流れを断ち切ろうとしたのが大化の改新です。天皇のもとに権力を集める中央集権を進めるために、土地と人民を国家の所有とみなす公地公民制という考え方が打ち出されました。また、日本独自の元号「大化」を定めて、中国とは別の時間軸で歴史を刻む姿勢も示されました。これは「よその国のカレンダーではなく、自分たちのカレンダーで政治を動かす」という、静かな独立宣言でもあったと言えます。

一方で、急な中央集権への転換は、長く地元を支配してきた豪族にとっては権利を奪われる話でもありました。改革が進むほど反発も強まり、「誰が天皇になり、誰がどこまで口を出せるのか」という問題は、のちの壬申の乱へとつながっていきます。

つまりどういうこと?
大化の改新と公地公民制は、「豪族の家ルール」から「国家の共通ルール」への切り替えをねらった政策でした。独自の元号を使うことも含めて、日本は「他国の決まりにぶら下がるのではなく、自分たちで政治のルールを作る」という方向へ舵を切ります。しかし、その舵切りは当時の支配層にとって痛みをともなうもので、改革を押し進めようとする側と、地盤を守ろうとする側の対立が深まりました。その対立が、のちに皇位継承をめぐる大きな戦乱へと火をつけていきます。

壬申の乱と天武天皇が日本の「名前」と物語を固めた

壬申の乱:皇位継承をめぐる内戦として最大規模の戦い。
天武天皇:壬申の乱で勝利し、新たな統治体制を築いた天皇。
国号:国の正式な呼び名。

大規模な改革のあとには、しばしば「次のトップは誰か」という争いが起きます。天皇の死後、その弟と子どもたちのあいだで皇位継承をめぐる対立が激化し、古代最大級の内戦である壬申の乱が起こりました。地方の豪族たちも巻き込みながらの激しい戦いの末に勝利したのが天武天皇です。勝者として即位した天武天皇は、新しいルールのもとで政治を安定させることを目指し、のちに「日本」という国号を正式に名乗る流れをつくりました。それまで「倭国」や「大和」と呼ばれることが多かったこの国が、自分で「日本」と名乗るようになったことは、内側の統治だけでなく、外側への見せ方を整える一歩でもありました。

政権を安定させるために天武天皇が重視したのは、「この国はどこから来て、だれが支配しているのか」という筋の通った物語をまとめることでした。その結果として、日本最古の歴史書である古事記日本書紀の編纂がはじまり、日本のルーツを語る公式のストーリーが整えられていきます。

つまりどういうこと?
壬申の乱は、単なる身内どうしの争いではなく、「改革後の新しい秩序をだれが担うのか」を決める大きな分岐点でした。勝利した天武天皇は、政治の安定だけでなく、国の名前と歴史物語を整えることで、「この国はいったい何者なのか」という問いに答えようとします。国号「日本」を名乗り、古事記・日本書紀の編纂を進めたことは、内政と外交の両方に向けて「私たちはこういう来歴とルールを持つ国家です」と宣言する作業だったと理解できます。

神話の国譲りと「日出づる処の天子」が日本の自己紹介になった

天孫降臨:天上の神の子孫が地上に降りる出来事。
国譲り:地上の支配者が国を別の勢力へ平和的に渡す物語。
日出づる処の天子:東の国の支配者を指す外交上の自己表現。

日本最古の歴史書とされる古事記には、天地のはじまりから神々の誕生、そして人の世へと続く壮大な物語が描かれています。太陽神であるアマテラスと、その子孫が地上へ降りる天孫降臨、出雲で大きな勢力を築いた大国主が、最終的に国をゆずる国譲りなどの話は、ときに「古代の政権交代を神話として表現したのではないか」と解釈されることがあります。出雲のような地域勢力を物語のなかに位置づけることで、「最終的にはアマテラスの系統に政治的な正統性が集まる」という筋を通そうとしたとも考えられます。また、ヤマタノオロチ退治の場面を、鉄や交易に関する出来事の象徴として読む見方もあり、神話が現実の記憶と結びついている可能性が指摘されることもあります。

こうした神話による自己紹介は、国内向けだけではありません。推古天皇の時代には、隋に派遣された使節が「日出づる処の天子、日没する処の天子に書を致す」と書かれた国書を手渡し、日本を東の国の対等な支配者として名乗りました。返書が届けられなかったことを「途中で奪われた」と説明したというエピソードは、相手の体面と自国のプライドの両方を守るための、したたかな外交感覚を物語っています。

つまりどういうこと?
天孫降臨国譲りの神話は、「この国の支配はどこから正当化されるのか」という問いに、物語というかたちで答えたものだと見ることができます。出雲の勢力を登場させつつ、最終的にはアマテラスの子孫の支配に話を収束させる構図は、古代の権力関係を整理し直す試みでもありました。さらに、外交文書で「日出づる処の天子」と名乗ることによって、日本は外の世界に向けても「自律した支配者」として自己紹介をしています。神話と外交表現は、内側と外側の両面から「日本」という存在を描き出す、二つの補い合うツールだったと考えられます。

まとめ:改革と物語と外交がそろって日本が立ち上がった

ここまで見てきたように、大化の改新公地公民制といった制度づくり、壬申の乱とその後の天武天皇の統治、古事記・日本書紀の編纂、そして神話や「日出づる処の天子」という表現は、ばらばらの出来事ではありません。権力の集中、国の名前と筋の通った物語の整備、外の大国に対する自己紹介という三つの要素が組み合わさることで、「日本」という国家は内側と外側の両方に向けて、自分のかたちを示し始めました。現代の私たちが古代史を学ぶことは、社会のルールがどのように作られ、物語と結びつき、他者との関係のなかで変化していくのかを考えるきっかけにもなります。

制度の変化の裏にある利害を想像する
歴史書や神話の狙いを読み解く
内向きと外向きの自己紹介の違いを意識する

以上が本記事から得られる学びです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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