応仁の乱の主役!山名宗全と六分の一殿の真実|5分de探究#052

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応仁の乱の主役!山名宗全と六分の一殿の真実|5分de探究#052
天下の六分の一を支配した山名宗全は、なぜ没落したのでしょうか?


実力主義で成り上がった一族の野望と、応仁の乱の裏側には、組織が壊れる教訓が隠されていました。その全貌を”5分”で紐解きます。

▼ この記事でわかること

Q.応仁の乱の主役・山名宗全と六分の一殿の真実とは?


六分の一殿と呼ばれた山名宗全応仁の乱を主導しましたが、後継者が文化に溺れ統治を怠り没落しました。

足利将軍家の支配が崩れ、実力で上の者を倒す「下剋上」の時代が到来しました。その象徴が、清和源氏の名門ながら損得勘定で勢力を拡大した山名氏です。一時は日本の「六分の一」を支配するほどの権勢を誇り、応仁の乱でも中心的役割を果たしました。

しかし、文化への傾倒指導力不足により、戦国の荒波の中で急速に力を失います。本稿では、山名氏の興亡を通じて、混沌とした時代の力学を読み解き、現代に通じる生存戦略を探ります。

📚お読みになる前に📚

戦国時代を象徴する「下剋上」

下剋上:低い地位の者が上の者を実力で倒し、政治的・軍事的な権力を奪取する現象のこと。
清和源氏:第九代清和天皇を祖とする武士の家系であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝などを輩出した。
御家人:将軍と主従関係を結んだ武士のことで、戦時の軍役と引き換えに土地支配を認められた。

足利氏の支配が崩壊し、混沌とした戦国時代を理解するための重要なレンズ、それが下剋上です。この言葉は「低いものが高いものを征服する」様を表し、当時の日本社会の激変ぶりを端的に示しています。今回は、この概念を誰よりも鮮烈に体現し、乱世を駆け抜けた一族である山名氏に注目してその本質に迫ってみましょう。


山名氏は由緒正しい清和源氏の血筋であり、鎌倉時代には頼朝の御家人として活躍しました。しかし、同族の新田氏が忠義に殉じて没落したのに対し、山名氏は徹底した「損得勘定」で動く機敏さを持っていました。彼らは情勢を見て巧みに陣営を変え、時には裏切りさえも武器にして、乱世での生存競争を勝ち抜いていったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

戦国時代は身分秩序が崩れる完全実力主義の社会でした。名門の山名氏であっても、家柄だけには頼らず、利益のために敵味方を柔軟に変えるしたたかさを持っていたからこそ、勢力を拡大できました。つまり、過去の常識にとらわれない柔軟な思考こそが、激動の時代を生き抜くための最強の武器だったのです。


山名氏が権力の頂点へ登り詰める様子


── では、彼らがどこまで登り詰めたのかを見てみましょう。

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勢力拡大と一度目の「挫折」

六分の一殿:山名氏清が日本全国六十六カ国のうち十一カ国の守護を兼任したことからついた異名。
足利義満:室町幕府の第三代将軍で、南北朝合一を果たし、有力守護大名の弱体化を推し進めた。
明徳の乱:将軍義満の挑発により山名氏清が挙兵し、幕府軍に敗れて一族が領地を減らされた事件。

1390年代、山名氏は日本で最も裕福な一族となっていました。当主の山名氏清は十一もの国の守護を兼ね、六分の一殿と呼ばれるほどの権勢を誇ります。しかし、日本の国土の大部分を支配するこの強大すぎる力は、権力の集中を推し進める時の将軍・足利義満激しい警戒心を招き、両者の対立は避けられないものとなりました。


足利義満は巧みな政治手腕で山名一族の内紛を誘発し、彼らを挑発しました。これに耐えかねた氏清はついに挙兵し、明徳の乱が勃発します。山名軍は京都に迫る勢いを見せましたが、最終的には敗北し、氏清は戦死しました。結果として一族は多くの領地を没収され、その力は一時的に大きく削がれ、長い冬の時代を迎えることになります。

🔍 つまりどういうこと?🔍

山名氏はその巨大な軍事力ゆえに、幕府にとって最大の脅威と見なされました。権力の集中を嫌う将軍足利義満の策略にはまり、一度は手痛い敗北を喫したのです。しかし、彼らの歴史はここでは終わりません。失敗から学び、好機を虎視眈々と待つその姿勢こそが、後の復活劇へとつながる重要な伏線となるのです。

💡 情報が混み合っていませんか?細かい時系列は、年号整理ページ にまとめてあります。是非ご活用ください。


没落した山名氏が再び勢力を取り戻す様子


── では、彼らがどう復活したのかを追いましょう。

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応仁の乱を引き起こした「宗全」

嘉吉の乱:赤松満祐が第六代将軍義教を暗殺した事件で、山名氏が討伐功労者として再興する契機。
山名宗全:山名氏の中興の祖であり、将軍家の継承争いに介入して応仁の乱の西軍総大将となった。
足利義尚:第八代将軍義政の息子で、次期将軍の座を巡り叔父の義視と対立し、宗全の支援を受けた。

没落からの劇的な復活を遂げたのが、野心家の山名宗全です。彼は将軍暗殺事件である嘉吉の乱に乗じて実行犯の赤松氏を討ち、その領地を奪って勢力を回復させました。この機を見るに敏な行動と功績により、山名宗全は再び幕府政治の中枢へと躍り出ました。まさに、混乱こそが階級を駆け上がる梯子であることを証明したのです。


山名宗全は将軍後継問題にも深く介入し、幼い足利義尚を擁立して、対立勢力との全面戦争である応仁の乱を引き起こします。しかし山名宗全の死後、後継者の山名政豊は領国経営よりも茶道などの文化に没頭しました。名物「九十九髪茄子」を愛でる一方で統治をおろそかにしたため、一族の結束は乱れ、急速に弱体化していったのです。

🔍 つまりどういうこと?🔍

山名宗全は乱世の好機を逃さず権力を握りましたが、後の世代は平時の感覚で文化に耽溺してしまいました。戦国時代において、現場での統治を放棄することは、そのまま滅びへの道を歩むことと同じでした。どれほど強大な組織でも、リーダーが本業を疎かにした瞬間から、崩壊へのカウントダウンは始まっているのです。


── 👀 読むのが疲れてきませんか? 「歴史は好きだけど、文字を読む時間はあまりない…」 そんな方には、耳で聴く読書がオススメ。

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下剋上の実例!山名・細川氏は応仁の乱後消えた|5分de探究#053
現場の反乱で組織が崩壊する恐怖を感じたことはありませんか? かつての支配者たちも足元からの突き上げに震えていました。地方武士の台頭と、エリートの誤算を知れば激動の時代を生き抜くヒントが見つかります。
  • STEP 1.一気読みでサクッと把握5min

  • STEP 2.この記事で理解を深める5min

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── 最後に、この記事のまとめFAQでおさらいしましょう。

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まとめ:歴史を動かす「実利」

山名氏は名門の血筋でありながら、理想よりも実利を優先することで乱世を生き抜きました。彼らの興亡は、どれほど強大な力を持ったとしても、時代に合わせて適切なリーダーシップを発揮できなければ、組織はあっけなく没落してしまうという歴史の教訓を私たちに教えてくれます。成功にあぐらをかかない姿勢が重要なのです。
この記事のポイントは、以下の3つです。

情勢変化に対応する柔軟な損得勘定
突出した権力が招く周囲の警戒と攻撃
統治をおろそかにする文化への逃避

ここで得た小さな気づきが、明日のあなたの視野をほんの少しだけ広げてくれますように。

❓この記事のテーマに関するFAQ❓

Q1.山名氏はいつから力を失ったのですか?

応仁の乱の後、宗全の死後に後継者の政豊が京都での文化生活を優先した頃からです。領国経営の不在が決定的な衰退を招きました。

Q2.山名氏と新田氏の運命を分けたものは何ですか?

忠義か実利かという判断の違いです。南朝に忠実だった新田氏は没落しましたが、勝者に味方し続けた山名氏は繁栄を手にしました。

Q3.「六分の一殿」とはどういう意味ですか?

当時の日本全国六十六カ国のうち、山名氏が十一カ国を支配していたことを指します。全土の約六分の一を領有する強大さを表す言葉です。

各時代の FAQ は、FAQまとめページ で一気見できます。是非ご活用ください。
[主な参考資料]
・佐藤信ほか編『詳説日本史(日本史探究)』山川出版社,2023
・国史教科書編纂委員会編『市販版 国史教科書』PHP研究所,2024
・笹山晴生ほか編『詳説 日本史史料集』山川出版社
出典:Wikimedia Commons
※当記事は上記の信頼できる書籍・史料に基づき作成していますが、わかりやすさを優先した独自の表現を含みます

🖋 この記事を書いた人 🖋

Alex Kei(学び直しライター)

早稲田大学創造理工学部卒。複数の教科書と専門書を読み比べながら、【大人の学び直し】に特化した記事を執筆しています。

── 最後まで読んでくれたあなたへ。「5分の枠」には収まりきらなかった、もっとディープな歴史の裏側を覗いてみませんか?
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