【政権投げ出し男】近衛文麿は有能な聖人?無能なクズ?みんなで投票!

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近衛文麿
【〇〇な〇〇】
           

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偉人も、所詮は人間だ。

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  1. ■判定対象:近衛文麿(1891~1945)
    ■能力値:家柄・人気 / ■性格値:無責任・優柔不断

    五摂家筆頭、藤原氏の正当な後継者である近衛家の当主。
    180センチを超える長身、貴公子然としたルックス、教養溢れる語り口。昭和初期、閉塞感漂う日本において、近衛文麿は国民的なアイドルであり、誰もが彼に「現状を打破してくれる救世主」の夢を見ました。

    しかし、歴史が証明したのは、彼が「悲劇のプリンス」ではなく、「無責任なポピュリスト」だったという残酷な事実です。
    第一次近衛内閣で日中戦争が勃発した際、彼は「不拡大方針」を唱えながらも、軍部の強硬論に流され、なし崩し的に戦線を拡大させました。「国民精神総動員」をかけ、既存政党を解散させて「大政翼賛会」を結成。結果として、軍部が暴走しやすい全体主義的な独裁体制の土台を、彼自身が作り上げてしまったのです。

    そして、事態が行き詰まると「蔣介石を対手とせず」と交渉の道を自ら閉ざし、さらに状況が悪化すると「もう僕は嫌だ」と言わんばかりに政権を投げ出しました。
    日米開戦の直前にも首相を務めましたが、戦争を回避する決断も、開戦する覚悟も持てず、最後は東条英機にバトンを渡して逃亡。
    戦争末期には昭和天皇に「近衛上奏文」を提出し、早期和平を訴えましたが、時すでに遅し。彼の行動は常にタイミングが悪く、そして常に「自分は悪くない」という貴族特有の無責任さが漂っていました。

    戦後、GHQからA級戦犯容疑者として指名されると、出頭期日の前夜に服毒自殺。「僕は支那事変以来、多くの政治上の過誤を犯した」という遺書を残しましたが、法廷で裁かれることすら拒否したその最期を、潔いと見るか、最後まで逃げたと見るか。

    高貴な血筋と圧倒的な人気を持ちながら、決定的な場面で決断できなかった弱き宰相。彼に悪意はなかったかもしれません。しかし、為政者の無能は時に悪意以上の罪となります。
    日本を破滅へと導いたのは、軍部の暴走か、それともこの貴公子の優柔不断さか。

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